─滋賀・両丹・京都南部の3地区 75教会・伝道所と地域の“宣教”のために─
日本基督教団 京都教区ニュース
THE UNITED CHURCH OF CHRIST IN JAPAN - KYOTO DISTRICT
今総会期 第2号 発行 2025年3月7日
発行人 今井牧夫 編集人
松下道成
〒602-0917 京都市上京区一条通室町西入東日野殿町394-2 京都教区事務所/Eメール info@uccj-kyoto.com
TEL 075-451-3556/FAX 075-451-0630/教区HP http://www.uccj-kyoto.com
巻頭説教「イエス様の手がして下さったこと」(マルコ6章より)
京都教区総会議長 京北教会 今井
牧夫
「イエスは五つのパンと魚を取り、天を仰いで讃美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。」(マルコ6:41、42)
2019年5月、私が京都教区総会議長に選出された総会の開会礼拝の聖書箇所です。現実にあり得ない奇跡の話と思え、解釈が難しい箇所です。
しかし、あるときこんなことがありました。いつのことだったか、まだ寒い3月頃、行きつけのスーパーの食品売り場で高齢の女性二人のこんな会話が耳に入りました。「春になったら、食べるもん、ようさん(たくさん)出てきたな!」それは季節の野菜のことでしょうか、今は年中たくさん食べ物がありますが、昔からの季節感覚がある方はそう言われるのでしょう。それを聞いて一瞬「へえ、そうなのか」と思った私の心に、何かがひらめきました。今までわからなかったことが少しわかった気がしたのです。
食べ物はどこから生まれてくるでしょうか。自然の収穫からです。パンや魚は、季節と特に関係なく食べるものとしても、一般に自然の収穫には「季節」が関係しています。そして飢える人を一人も出さずに、誰もが食物にあずかるには、飢饉も戦争も経済格差も乗り越えた、平和な「時代」でなければなりません。
この話を私はずっと、イエス様が「食べ物をどう増やしたか」という話と思ってきました。でも本当は、ここでイエス様がなされたことは、「とき」(時代、季節)を私たちに開くことだったのでは、と思ったのです。
イエス様がここで弟子たちに伝えたかったことは、「これからは、あなたたちの手で平和な時代を開き、収穫のときが来たら、みんなで分けて満腹しなさい」ということだったかもしれない、と考えてみました。イエス様は十字架と復活の生涯を通して新しい時代を開かれました。そうして神様を信じる「とき」が人々に到来するとき、平和の中で「食べ物がようさん出てきたな!」「春になったらようさん出てきたな!」となって、すべての人が満腹できたら、神の国の到来であると、私は夢を見ます。そのときへの扉を開くことが、弟子たちを通して後の教会に委ねられています。
私は3月末に教会退任し、教区議長の任も同時に終えます。教区の全ての皆様に今までのお支えを感謝いたします。今号の教区ニュースは特に、コロナ時代を乗り越えて活動を再開した教区の多様な働き、たくさんの恵みを報告しています。
京都教区はこうして、新しいときを迎えます。
京都教区を訪れて―韓国の大田老會6名の交流プログラム感想
2024年11月21~25日に、韓國基督教長老會の大田(テジョン)老會(老會とは教区の意味)から、女性・青年を含めた信徒・教師の6名を迎え、1998年交流開始以来26周年目、第15回目の交流プログラムを滋賀・京都の各地で有意義に行いました。双方の教区・老會の皆様に感謝申し上げます。
(京都教区総会議長 今井 牧夫)
第15回交流プログラムで経験した恵みの数々
満恩教会 白 承三・林 美子 夫妻
(翻訳 韓 亨模 丹後宮津教会牧師)
1 参加のきっかけ
大田老會と京都教区の交流の歴史は26年となり、交流プログラムの歴史も第15回を迎えました。大田老會の集まりでは、京都教区とどんな交流を進めているかを報告して計画を立てますが、私とは縁遠い話だと思っていました。コロナ禍の真っ只中の2021年に突然、日本語聖書を読みたいと思って書店に行き、日本語の新共同訳を購入しました。しかし読めませんでした。それがきっかけで日本語の勉強を始めたのです。日本語の勉強をしていると、日本の教会に行ってみたくなりました。そんなときにこのチャンスが来たのです。それで妻と一緒に参加してあれこれ学ぼうと結論を出して、プログラムに参加を申し込みました。夫婦で一緒に海外に行くのは初めてです。ちょうどプログラムで日本滞在中の11月25日が妻の誕生日でしたので、すてきな誕生日祝いをしていただくことになり、すべてが恵みでした。
2 あふれる歓迎ムード
日本で迎えた初日の歓迎夕食会は、とても印象に残っています。料理の名前は分からないものの、大きな食卓にあふれる最高のごちそうに、私たちは幸せを感じました。料理して下さった方の腕前が最高です。私たち6名のチームを迎え入れて食事と宿泊をさせて下さった、膳所教会の信徒皆様に最高の賛辞をお送りしたいです。京都教区の牧師方、皆様大変お疲れ様でした。
3 期待の京都教区大会
土曜日は京都教区大会が開かれる日です。期待をふくらませて大津教会へ向かいます。10:30開始の大会に80人余りが参加しました。年配の方が主でした。短い開会礼拝に続いて11:00~12:30は講演で、学校生活に適応できない子たちの問題でした。質疑応答では、実際に学校生活に適応できない子の母親の涙まじりの訴えもあり、聞く人も切ない気持ちで一杯になりました。解決策として講師はフリースクールの説明をしました。他人事とは思えず、今も講演の様子が頭に浮かぶことがあります。
昼食になり、お弁当を食べます。おいしいです。
三々五々集まって、なごやかに語りあいながら食事をとりコーヒーを一杯飲む。うちのチームが持って来たコーヒーとお菓子をいっしょに楽しみました。キリストのなかでひとつになったことを感じる時間でした。
食事後は信徒大会では珍しいマジック公演です。まもなくマジックショーチームが登場し、帽子から靴下まで素敵に着こなしたマジシャンが、様々な不思議な様子を演出しました。皆が喜んで拍手を送ります。マジシャンの腕前は自然で専門家らしかったです。たまに思い通りにできないときもユーモアで流したりします。それらもすべてマジックと受け入れて楽しみました。
30分のショーが終わって我々6名のチームが登場する順番になりました。我々の準備は簡単な演劇と、讃美歌「主われを愛す」でした。演劇は、朝鮮戦争の社会的背景の中でも強い信仰を守ったという内容で構成しています。ソウルにある教会の主日礼拝に押し寄せた人民軍の、軍服を着た人物(韓鐘実牧師の役)が叫ぶ声から始まる短い劇は、真の信仰者が誰なのかを問う物語です。イエス様の絵につばをはき、十字架を踏んで通り過ぎる裏切り者と、最後まで命をかけてイエスを愛するキリスト者を描き出す物語。「主われを愛す」の讃美歌を日本語で一緒に歌ったときには、皆が一つになる経験ができました。目頭を熱くして涙をぬぐう人もいました。
4 安息日
牧師にとってはいつも大変な日です。朝早くカバンを持ち、私が説教する洛西教会に向かいました。日本の教会の主日礼拝は、信徒たちが順番を決めて司会を担当します。韓国の教会とは異なる点です。李元重牧師の通訳で説教を行い、礼拝後にはパンとお茶で交わりの時間を持ちました。この時間は非常に大切な時間となりましたが、経験しなければわからないことでしょう。あれこれ話を交わしながらお互いを理解し、神様の恵みを分かち合い、より良い教会のために一緒に祈ることを誓う時間でした。午後に京都地域の各個教会を探訪する時間は、この上なく大切な時間でした。教会の歴史の話を聞きながら感動の時間を持ちました。100年をはるかに越える教会は、それぞれに汗と涙の種で始まったことが分かりました。教会を建てる必須の要素は、キリストの十字架です。愛と犠牲なしには不可能です。日本社会に深く根付く宗教的状況から見ればなおさらです。11月の最終週を収穫感謝祭として守る、日本の京都教区の教会の姿を見て、世界のすべての国のキリスト教は、一つの神様に仕え、一冊の聖書を共有し、一つの心で交わる共同体であることを感じることができました。
最後に、交流プログラムに参加できたことを神様に感謝し、大田老會と京都教区の関係者皆様に感謝を申し上げます。
参加者一人ひとりの感想
(翻訳 金 度亨 ゴスペルハウス教会牧師)
青年の立場で参加して
天安サルリム教会 朴 智園
今回、京都教区訪問の貴重な機会が与えられました。しかし、送られてきた日程を見て厳しいスケジュールだなと思いました。こんなに大変な日程を一日で全て回れるかな、とも思いましたが、全てが終わってからは「なるほど、これらすべては必要だったな」と思うようになりました。
以前から歴史に興味があって、日本は江戸時代からキリスト教への迫害があったと知っていました。それから、昔からの伝統宗教が強い日本で、教会とキリスト教がどのような形で形成され維持されているのか、そして日本の青年たちは教会でどのように信仰生活をして、また何を考えているのかが気になって、日本行きの飛行機に身を乗せました。初めて日本の教会を訪れた時、100年を超える歴史を持っている教会に感心し、一方では羨ましいとも思いました。様々な戦争を経験した我が国では、100年を超える教会の建物はなかなか見当たらないからです。日本の教会を訪ねて歴史の大切さを学ばせて頂きました。
今回の京都教区訪問を通して、私たちが信じる神は国境、価値観を超えて一つの神であることが分かりました。暖かく迎えてくださった皆様、帰る日まで楽しい時間を過ごさせて下さった方々に感謝申し上げます。今後もこうした機会があれば、もう一度訪ねたい気持ちです。ありがとうございました。
交流30周年に向けて
ハンセム教会 韓 鐘実
人生100歳時代と言えば、大田老會と京都教区の交流は2025年で27年目ですから、人生の歳ならまだ20代半ばぐらいの非常に活力あふれる時期だと思います。ところが、誰も予期せぬコロナにより世界が3年間重病を患いました。大田老会と京都教区も影響を避けられませんでした。人が好きで大田老会と京都教区の交流に関心を持っていた私としては、コロナで失われた3年間、京都教区の消息が気になっていた所に、国際協力宣教委員会の役割から交流プログラムに参加し、コロナで少し落ち込んだ雰囲気を活性化しておきなさい、という命令に従う気持ちで今回のプログラムに参加しました。
京都教区の教会の状況は高齢化が進み、コロナ以降の信徒減少問題などは大田老會が抱えている課題と似ていました。また、京都教区の以前と変わらない準備と計画、そして誠実さと親切さに拍手を送ります。そして、通訳してくださった方々のご苦労にも感謝します。一方、交流30周年を迎えてお互いに準備しよう、という課題を提案した事で心が重いのですが、これからの交流を深めたい気持ちが一杯です。今までのすべてのプロセスは当たり前なことではなく、無限の神の恵みでした。全てを満たしてくださる神に感謝します。
貴重な経験、最高の経験
天安サルリム教会 成 仁淑
まず、京都教区訪問が実現して主に感謝します。人生初めて訪れた日本! 私には、近くて遠い国でした。歴史的な痛みによって、あえて日本に関して私は無関心でした。しかしキリスト者として同じ信仰を持つ日本のキリスト者と教会には関心がありました。2日目に配られた、京都教区と大田老會の宣教協約の文章の冒頭に、日本の先達が“韓国と諸アジアに犯した事について心から謝罪する”という文章を読んだ瞬間、言葉で表現できない感情と、長年胸にあった憎しみが雪が溶けるように消えて喜びに変わる貴重な体験をしました。その後100年以上の歴史を持つ教会を訪問して、長年守られている目に見える建築物と、目に見えない精神的な伝統を感じる貴重な時間を過ごしました。
最後の日、歓送会に多くの教区の方々が来られました。皆様は私の感想を聞き、交流プログラムは日本に対する誤解を解き、誤った歴史に心から反省する人が、日本にも多くいることを知らせる目的があると言いながら、とても喜んでくれました。京都教区の皆様の歓待に感謝し、“私はこれから生きているうちに日本を頻繁に訪ねます”という言葉で挨拶の言葉を伝えると、すべての方々が歓呼されました。本当に最高の時間でした。今回の交流プログラムに参加することが許され、神に感謝します。このような素晴らしい時間を準備して下さった全ての方々に心から感謝申し上げます。
和解と希望の種をまく
セセム教会 洪 ボラメ
1 始めに―回復と和解の旅
今回の日韓キリスト教交流は、単なる宗教的な出会いを超え、痛みのある歴史を癒し、回復の架け橋を築く旅でした。私たちは、日本が韓国に加えた戦争と植民地支配の傷を忘れず、この交流が真の和解を引き出す契機となることを願いながら一歩を踏み出しました。大田老會と京都教区との出会いは、単なる訪問ではなく、神の光のもとで両国の教会が共に歩む象徴的な一歩でした。
2 京都教区を訪れて―光を灯すキリスト者として
京都教区を訪れた時、私たちを迎えてくれた日本の信徒たちの温かい歓迎は、過去の歴史的な痛みに関わらず神にあって一つであることを感じさせてくれました。互いの言語や文化的な違いを超え、祈りと賛美の中で神の栄光を現す時間を共に過ごしました。京都教区の関係者たちは、この交流を通じて、恥じることのないキリスト者として新たに生まれ変わりたいと語りました。その告白に深い感動をいただき、私たちが自らを振り返るきっかけとなりました。この出会いが単なる和解を超え、両国の宣教に明るい灯火を灯す出発点となることを願っています。
3 宣教の新たな灯火を灯しながら
訪問期間中、私たちは京都教区が行なう様々な宣教活動や、地域社会への奉仕の現場を訪ねました。これらの活動は、大田老会が展開している働きと多くの共通点があり、両者が協力し、より力強く神の国を築くことのできる可能性を感じさせられました。特に、日韓の歴史的な問題に直面しながら、福音の中で和解と赦しを実現しようとする京都教区の働きは、私たちに宣教の新たな方向性を示してくださいました。
4 結びに―和解と希望の種を蒔く
今回の訪問は、単なる交流を超え、神の御前でお互いを理解し合い、癒し合うプロセスでもありました。大田老會と京都教区は共に祈り、神の導きを求め、その中で過去の痛みを超え、未来への希望の種をまくことができました。私たちは、この訪問が両国の教会だけでなく、さらには日韓両国の関係改善における霊的な灯火となることを信じています。神の愛が歴史と傷を超えて、私たち一人ひとりを一つにしてくださるよう祈りつつ、今回の旅を締めくくりました。
“これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました”
(コリントの信徒への手紙二 5:18)
第43回日本基督教団総会報告
教団総会に出席して
京都南部地区 室町教会 吉田
一穂
2024年10月29日(火)13:30〜31日(木)15:00に東京池袋のホテル・メトロポリタンで第43回日本基督教団総会が行われました。私は、京都教区の議員として初めて出席することになりました。ホテルメトロポリタンは、格式ある立派なホテルで、駅の近くにあり便利なホテルでもありました。まず、私が驚いたのは、総会の規模でした。京都教区の定期総会の何倍もの人数が一同に会するということで、大きな会場だけでなく、世話をしてくださる方々も大変な人数がおられました。
教団総会の内容は、全国規模ということで、京都教区定期総会の内容を全国規模にした内容のように感じました。総会ではいろいろな議案について採決が行われました。会議の構成員の賛否の意思表示を求めて、数を数えて行われたので、全議員の意向を汲んで行われていました。特に印象的だったのは、沖縄教区との関係改善と京都教区が関わっている半数連記による投票についての議案でした。
日本基督教団は、過去における相互のやりとりの中で沖縄教区との関係がうまくいかず、関係改善を求められています。沖縄の方は、本州のことを「本土」と呼ばれることがあり、しばしば疎外感を感じられることが多いと聞いておりましたので、沖縄教区の議員の方々も教団総会に参加してくださるともっと日本基督教団の雰囲気は良くなるだろうと思いました。羊飼い(イエス=キリスト)が99匹の羊を残して見失った1匹の羊を探しに行くという聖書のたとえ話のように「神様の憐れみ深さ」を実現できれば日本基督教団もさらに理想的な集団になるのではないかと思いました。京都教区が関わっている半数連記についての議案は、あと20票くらいで可決されたと思いますが、「14名連記だからと言って民意を反映していないとは言い切れない」と思っておられる方もかなりおられたようなので、ディベートでいろいろな意見が出ることを想定して見解を構築していくことの難しさを感じました。
総会の間に私が所属している室町教会の牧師である浅野献一牧師が怪我をされるというアクシデントに見舞われましたが、教団総会のお世話をしてくださる方々もホテルの方々も大変行き届いた配慮をしてくださいました。ご配慮いただいた方々に感謝するとともに、これからもいろいろな面で行き届いた教団総会が継続して行われることをお祈りいたします。
総会参加感想
京都南部地区 洛陽教会 松下
道成
初めて教団総会に参加した。教団総会に参加しての感想は、「ものの見事に二つに分裂している」ということ。それは、議案33号、40号の「北村慈郎牧師の戒規免職」に関する両議案を扱うかどうかということから始まって顕著であった。北村牧師とは面識があり、共に働き、多くのことを教わり、真に牧師にふさわしい方であると思っており、両議案での話し合いを願ったが、採決の賛成166、反対183で否決された。この最初の採決に現れたように、以後の議案の採決はことごとく全ておよそ200対150の様相を呈し、あたかも自動的に選別されるかのようだった。例えば議長と副議長選挙は予備選挙をしないのに、最初から2名に絞られ、当選者およそ200票、次点者およそ150票という結果になる。さらに全数連記で教師・信徒各13名ずつ選らばれる常議委員は、1位~13位が約200票~170票を取り、補充者となる14位が150票余りを取るという絵に描いたような結果になる。京都教区などの有志議員はこの状況を改善するために「常議員選挙を半数連記で行う件」を提案していたが、これもまた185対165で否決され、このような状況を、本当に改善しようとしているのか疑わしくなる。この調子で大阪教区・兵庫教区・西中国教区が出す「沖縄教区との対話再開、合同のとらえなおし、宣教連帯金の謝罪と回復」の提案も否決、兵庫教区・九州教区の「教団伝道資金制度の見直し」の提案同様に、九州教区「二種教職制撤廃」の提案も、ことごとく同じような採決結果で否決となった。(どれも、重要で、とても大切な提案だと思ったが)
ちなみに教団総会中に開会礼拝、逝去者記念礼拝、聖餐礼拝が行われる。3人の説教者がそれぞれ「愛という賜物を受けて」「いのちの種」「赦しに生きる」というタイトルで説教をされた。さすが総会礼拝での説教で、どれも非常によく考察されていて、構成も練られ、迫るものがあった。しかし、牧師は誰しも、み言葉を語る時、「自分はそのように生きているのか?」という自身への問いかけから逃れることは出来ない。本当にそのみ言葉が、福音が伝えられるために、「自分はキリストの香りをはなっているのか?」。いわば説教が上手くなればなるほど、その苦しみは増す。残念ながら教団総会は、これらの説教の実際を指し示すものだとはいえなかった。最後の議案は、常議員会提案の「日本基督教団の全体教会としての一体性を確認する件」で、この議案だけが賛成212で可決されたことは、皮肉以外の何物でもない。日本基督教団が一つであることは、信仰告白や、聖餐の仕方にあるのではなく、先の戦争の過ちの歴史によるものであり、何一つ、我々に誇るべきものはない。それこそ赦された者として、多様性の中に、主にあって、互いに赦し合い、尊重し合い、共に生きていくことに希望を持てるかどうか、そのことが一人ひとりに問われていると強く思わされた。
秋の教師交流会
滋賀地区 近江平安教会 鳥井 新平
2024年9月9日(月)、京都教区「秋の教師交流会」が教師部の主催で京都市北区にある日本基督教団ゴスペルハウス教会を会場に行われました。今回のテーマは「地域と共に歩む教会~ゴスペルハウス教会開設15年の歩みから学ぶ」です。ゴスペルハウスでは3つのCを大切なテーマとしています。それは、Church 教会、Coffee コーヒー、Culture 文化です。入順子さん(京都教会)の開会祈祷の後、金度亨(キム ドヒョン)さんが、ご自分の歩みとゴスペルハウスの働きを詳しくお話くださいました。金さんは、2002年に韓国メソジスト教会から日本基督教団に宣教師として派遣され、2002年から2008年まで日本基督教団平安教会で宣教師として働かれた後、2009年から現在のゴスペルハウスを設立され、主任牧師としての働きを続けておられます。この日参加した20名あまりの者は、金さんのユニークな宣教活動に大変刺激を受け、教会と地域との関係を問い直すことができました。金度亨さんはフランスの哲学者レヴィナスの「他者論」に励まされ、「自発的疎外」として日本社会の中でマイノリティとして生き、平和を実現する道を歩んでこられました。地域の人との関わりを何よりも大切にされ、カフェや文化教室を開設されています。「他者を通して神を見ていく」その姿勢は日曜日の礼拝だけではなく、誰でもが気軽に入ってこれる空間をつくり、商店街や町内会の活動や奉仕に及んでいます。
パートナーの朴シネさんは大学で「死生学」「弱さの人間学」を講じ、毎月第四土曜日には、教会でも「デスカフェ」を担当されています。金さんのお話の後には、香り高いコーヒーとおいしいお菓子をいただきながら、今井牧夫議長(京北教会)の能登半島地震被災地の報告も含む教区報告を受け、新人教師の自己紹介やフリートークの時間をもちました。とても有意義な教師交流会となりました。
京都教区「教会と社会」特設委員会 社会フォーラム報告
「分断のない世界―被害者と加害者、そして社会―」
死刑廃止を求める小委員会 京都南部地区 洛南教会 居 美緒
2025年1月13日(月・祝)、大分県より原田正治さんをお招きし、「死刑制度への問いかけ―被害者家族 原田正治さん 講演会」という題の社会セミナーを開催した。会場の室町教会には全員で15名が集まり、YouTubeライブ配信では最大で25名の視聴があった(YouTubeチャンネル「日本キリスト教団京都教区社会セミナー」に講演会の動画がアップロードされている)。
原田さんは1983年に起こった「半田保険金殺人事件」で末弟を殺された被害者家族である。それまで被害者家族と加害者の面会は例がなかったが、事件後10年目に、原田さんは「長谷川君」との面会に臨む運びとなった。以後、本事件の加害者の死刑停止や面会継続を求める活動を始めたが、無念にも2001年に死刑は執行された。法務省は「被害者に成り代わって」、あるいは「国民感情があるから」死刑を執行すると説明する(原田正治著『弟を殺した彼と、僕』ポプラ社、2004年、p.241)。しかし、原田さんが求めていたのは執行停止であったはずである。また、国民感情とは何なのか。
原田さんは、社会のなかで被害者像と加害者像が勝手に作り上げられているが、被害者も加害者もその人にしかない人生を歩んでいる生身の人間であるという点を強調された。国や社会は両者を対極にあるように捉え、分断を深めようとするが、被害者と加害者が対話する機会を見守り、その声に耳を傾けて、分断のない世界にするために一緒に考えてほしいと話された。また、原田さんは特定の宗教に属しておられるわけではないが、「人の命を奪うということは、神(広い意味での)だけに許された権限だと思う」という言葉もあった。
原田さんは2007年に―被害者と加害者との出会いを考える会―「Ocean」を設立され、また、2022年に発足した「Inter 7」(被害者・加害者双方の支援者が共に支援に取り組む団体)の理事をされている。2023年には『被害者家族と加害者家族 死刑をめぐる対話』(松本麗華さんと共著、岩波書店)という対談集を出版され、現在も精力的に活動されている。
京都教区障がい者問題特設委員会報告
「歌声カフェ」報告
滋賀地区 草津教会 永島 鉄雄
2025年2月2日、洛南教会を会場に開かれました(京都教区障がい者問題特設委員会主催。参加14名)。
第1部は小礼拝。大林叡貴さん(京都教会担任教師)によるメッセージ(聖書:詩編148編、讃美歌21:5番、171番)があり、教会音楽の讃美歌の源流である詩編をていねいに解説していただきました。
第2部 歌声カフェ・ティータイム。団野利男さん(宇治教会員)の歌とギター、吉田泰治さんの伴奏。フォークソング・昭和歌謡・讃美歌などみんなでリラックスして楽しく歌い交流しました。(「母さんの歌」「学生時代」「イチゴ白書をもう一度」「上を向いて歩こう」団野さんのオリジナル曲など)
団野利男(だんのとしお)さんは1965年京都生まれ。20歳からバンド活動を始め、ベースギターを担当。1990年25歳の時、西小倉めぐみ教会で受洗。27歳で結婚を機に夫婦でユニットを組み、妻がサックス自分がギター、ボーカルで京都のライブハウスへ出演。1997年自主製作でCD「明日があるなら」を作成し、約1000枚の売り上げを記録。30歳の時に、転職するが体調を崩し、うつ病を発症。その後も働きながら音楽活動を続け、2009・2012・2013年、奈良のわたぼうし音楽祭で入賞、2014年から10年連続で愛知県、とよはし音楽祭で入賞。現在はソロ活動と友人とのユニット「No women no cry」を結成し、多方面で活動。その一つとして宇治教会での歌声カフェでも活動を行っている。
「教会に集う人たちは皆さん歌がお好きで、歌うことによってリフレッシュし、生きることの喜びを最も簡単な方法で感じとり、生き生きと生き続けたいという思いを共感し合えるのではないでしょうか。だから私はジャンルを問わず、気軽に、そしてリラックスして歌い合える、そんな場作りのお手伝いをさせて頂きたい」(宇治教会会報から団野さんの言葉)
最後は石田輝美さん(石山教会)の指導でみんなで手話で讃美歌(446番)を歌いました。
教会とセクシュアル・ハラスメント問題
セクシュアル・ハラスメント問題小委員会 滋賀地区 近江金田教会 横田 明典
連載「ハラスメントのない教会に!」
第2回 教区・一泊教師研修会での発題要約
京都教区の取り組みのきっかけは、九州教区でのセクシュアル・ハラスメント(以下、セク・ハラ)事件。2001年1月に教会で教育主事として働く女性から、主任担任教師によるセク・ハラの被害が「伝道センター平和・人権部門」に訴えられたことに始まる。その後3月に常置委員会に被害状況調査、真相究明、事実確認のための小委員会の設置、5月の教区総会で建議の承認、教区議長の声明が出された。2002年5月の総会で教区声明の決議、セク・ハラ対策特設委員会の設置があり、2003年にはガイドラインが策定された。裁判は2003年10月に原告が勝訴。加害教師に約350万円の賠償命令が出されて、加害教師が控訴するも、2005年4月に原告勝訴で裁判を終えた。
九州教区の動きは、迅速かつ的確である。セク・ハラの被害に遭った方への深い思い、再発を起こさせたくない思いが教区全体に共有されたのであろう。ただ事件から20年近く経って出された改訂版「基本方針」「ガイドライン」には、「その初動において当該教師を擁護し、被害者を更に傷つけるという誤った対応を取った」とある。これは加害教師が「でっちあげ」と主張したことに、同調する同窓生教師、教会員がいたことを示している。「同窓・牧師だから守りたい」という思いが強くなり過ぎると、真実が見えず、客観的な判断が難しくなる。
京都教区では2001年5月の総会にて建議を承認、5月の常置委員会にて、公判前の打合せ会に委員を派遣することを承認。その後も公判の傍聴、委員会の設置などを行い、裁判支援の取り組みを進めた。これが現在の小委員会の成り立ちである。
セク・ハラは、「自分の思い」が優先されることではない。加害者が「自分はそんなつもりはなかった」と言っても、された側が傷つけられたと感じた時点で、それはハラスメントである。だから同じ言葉であっても、お互いの関係性において、ハラスメントになる場合もあれば、ならない場合もある。「禁句」を言わなければ免れる問題ではなく、防ぐことは非常に難しいものである。
セク・ハラに限らず、ハラスメントには「権威」が深く関係する。言い換えれば「言えなくする力」である。言われたことが嫌だったとしても、それを「言えなくする力」が「権威」だろう。「言えなくする力」や関係性があるところにハラスメントは起こりやすい。それは「牧師」や「役員」という教会における「地位」や、ジェンダーの枠組み、社会通念、常識もその範疇である。
例外もあるが、教会の中では、牧師や男性は「権威や力がある」側に見なされることが多い。自分の権威を自覚していなくても、教会員、女性が、権威や力を感じている場合もある。このことは教会の構造にも現れる。女性が多い教会なのに役員はほぼ男性、何かをする時に「まず牧師先生に相談してみないと」と考える人、教会の細々したことは信徒がやるべき、と考える人も多い。教会には「危うい」ことが多くないだろうか。そういったセク・ハラが起こり得る構造的な問題が教会にはある。そのことに信徒、教師はまず気付くべきだろう。これを自覚的に捉えていくことが、結局はセク・ハラを起こさない道につながっていると思う。
京都教区大会2024報告
宣教部委員長 京都南部地区 西陣教会 俣田
浩一
2024年11月23日(土・祝)に大津教会を会場に、宣教部主催の京都教区大会を「こどもの居場所・おとなの居場所」をテーマに、コロナ禍での休止期間を経て6年ぶりに開催しました。彦根市で不登校の子どものフリースクール「てだのふあ(沖縄の言葉で「太陽の子」)」を主宰されている山下吉和さんが、不登校の子どもの現状、子どもの居場所となっていない学校について、子どもの成長を信じて待つことなどをお話しされ、講演後の質疑応答では悩みを抱える当事者から真剣な意見が出されました。参加者も昼食を共にしながら、グループに分かれて、想いを分かち合いました。午後からは韓國基督教長老會大田老會訪問団の皆さんのご挨拶と寸劇があり、そして大津市在住のプロマジシャン“シ・オ・ミ”さんの手品を楽しみました。最後は浅野委員ご夫妻の導きによる讃美と祈りで心満たされて大会を終了しました。参加者は83名。お弁当や茶菓、販売物なども好評でした。久しぶりの教区大会でしたが、今回担当の滋賀地区を中心に準備委員が2年前から周到に準備を進め、待ったなしの不登校の問題から、心から楽しめた手品まで盛り沢山の内容で、2年に一度、皆が集まる“教区のお祭り”である教区大会を開催できたことは本当に良かったと思います。会場の大津教会の皆さまを始め、ご協力を賜りました皆さま、そして参加して頂いた皆さまに心よりの感謝を申し上げます。
編集後記
イギリスのカンタベリー大主教は、最初に日本に来た宣教師が、靴を脱いで家に上がったことを取り上げ、次のように言った。「宣教が実現化するかどうかは、その地において、自らの重い靴を脱ぐかどうかにかかっている。裸足であることは三つのことを示している。①痛みや怪我を負う覚悟があるということ②旅の終わりに足を洗ってくれる誰かが必要であること③モーセの召命のように、その立つ場所は聖なる地であるということ。キリストはハダシで歩まれ、多く人の妨げにより汚され、傷つけられ、最後には十字架に付けられた。この道を歩む事は成功や安全を保証するものではないが、これこそが主イエスとの本当の交わりをもたらすものだ。だから私たちは、イエスの名によって途方にくれる人々や不安にさらされる人々、抑圧された人々と共に立って、人間の苦難の道を歩むのだ」。
主イエスによって、こうやって関係を与えられた、私たち一人一人が、今この宣教に立ち上がりたい。(M.M)