─滋賀・両丹・京都南部の3地区 76教会・伝道所と地域の宣教のために

日本基督教団 京都教区ニュース

THE UNITED CHURCH OF CHRIST IN JAPAN - KYOTO DISTRICT

今総会期 第2号 発行 2024229

 

発行人 今井牧夫 編集人 松下道成

602-0917 京都市上京区一条通室町西入東日野殿町394-2 京都教区事務所/Eメール infouccj-kyoto.com

TEL 075-451-3556FAX 075-451-0630/教区HP http://www.uccj-kyoto.com

 

 

弱いときにこそ強い(コリントⅡ 1210節)

両丹地区 物部教会 米倉 渚

 20238月下旬の台風7号で教会員のお宅が土砂災害に遭い、社協からボランティアが来て奉仕をして下さいましたが、それが止まるので福知山教会の会員で社会福祉協議会の元会長が心配してお電話を下さったことから有志でボランティアが始まりました。数人のボランティアではどうにもならないと限界を感じて助けを求めました。物部教会が属している京都教区がすぐに人と献金を届けに来て下さり、後日、京都市内から、兵庫から大阪から牧師や教会員、同志社の神学生や学生、関学の学生、京都のホテル従業員、福知山社協の人々が床下の泥出しのために来てくれました。土砂撤去をされていた業者さんも私たちが働きやすいようにいつも心を配って下さいました。被害に遭われたご家庭も連日ひっきりなしに人が訪ねて来られて大変だったと思いますが、ボランティアを受け入れて下さり心から感謝しています。教会にはボランティアに行けないけれども祈って下さる方々がいて、ボランティアを支えるために祈り必要な物を献げたり動いたりして下さった方々がいました。泥出しのためにに雪ぞりが必要とLINEで流すとすぐに持ってきて下さった方々、私たちにできることはないかと声をかけて下さる方、今も覚えて献金を送って下さる方々や教会があります。現地に行くだけが奉仕(ボランティア)ではなく、ボランティアは祈り(想い)のわざだと想わされました。もちろん現地に来て下さった方々にはとても言葉では言い尽くすことのできない大きな感謝の思いがあります。私たちは一人ではない。神様によって結ばれており、神様がこの事柄の中にも生きて働いて下さっていることを実感しています。「弱いときにこそ強い」(コリントの信徒への手紙二 1210節)の言葉が響いてきます。

 

(床下の流入土砂の除去作業)

(作業後のミーティングと祈りのとき)


 

能登半島地震の被災地を訪れて

災害対策小委員会 京都南部地区 世光教会 新井 純

 202411517日、日本キリスト教保育所同盟として、加盟園の安否を確認するため能登方面を問安しました。

 金沢市の梅光保育園、小矢部市の石動青葉保育園(石動教会・元加盟園)、高岡市の坂ノ下保育園(高岡教会)は、建物被害は軽微とのことでしたが、園児や職員の家族親族の中に能登で被災された方は少なくないとのことでした。

 2日目、加盟園ではありませんが同労の乳幼児保育関係施設である七尾市の七尾幼稚園(七尾教会)を訪ねました。七尾幼稚園では釜土達雄牧師とお会いし、被災直後からの様子をお聞きしました。教会建物は2007年能登半島地震後に建て直されたので無事だったものの、園舎との繋ぎ目が大きく損傷し、それが余震のたびに拡大している等の懸念があるとのこと。また、園周辺は七尾市内でも特に被害の大きかったエリアとのことで、被災直後から園舎を避難所として開放し、多い時には100人もの方々が避難されていたとのことでした。なお、七尾市内は未だに断水が続いていますが、園庭の井戸水によってトイレが使えたため、被災1週間後から保育を再開しておりました。

 釜戸牧師の勧めで、当初予定になかった輪島市まで行ってみることにしました。道路の損壊が著しいため、半島に入るルートと出るルートが指定され、それぞれ一方通行にされていました。輪島市内の被災状況は想像を絶するもので、ほとんどの建物が損傷しているように見えました。市内中心部にある輪島教会はひと目で全壊と判断できるほどで(写真)、牧師館には1階が潰れた隣家がもたれかかっていました。テレビでよく映された倒壊したビルや、大火災が発生した朝市も教会のすぐ近くにあり、その近辺で津波被害は確認できなかったものの、揺れの激しさが想像できました。

 最終日は、羽咋市の羽咋白百合幼稚園(羽咋教会)を訪ねました。二つある園舎のうちの一つに大きな損傷があり、また園庭の大きな地割れ、周囲を囲むフェンスの倒壊など、甚大な被害を被っていました。羽咋教会は前回の地震以降に新築されたらしく、大きな被害はないものと思われました。祈祷会をしている最中だったようなので、ご挨拶せずに失礼しました。

 当初は一般ボランティア募集をしておらず、2週間経ってなお緊急避難の状態でした。2月中旬になり、ようやくボランティア受け入れを始めたようです。今後、教会や関係施設の被害の程度が明らかになってくると思われ、再建を含めた支援が求められるでしょう。地域への支援については、教会や施設が必要とする働きをお支えできればと思いますが、そのためにも被災地が安心して支援を求める情報発信ができるような関係性を築くことが理想です。取り急ぎ、京都教区では17日から自主的に能登半島地震救援募金を始めていますので、祈りつつご協力をお願いいたします。

 

(全壊した輪島教会)


 

「私のこれまでと今について」

障がい者問題特設委員会 学習会報告

障がい者問題特設委員長 滋賀地区 草津教会 永島 鉄雄

 2023924日(日)、洛南教会において、「私のこれまでと今について」というテーマで京都教会伝道師の大林叡貴(えいき)さんを講師に学習会を開催した(参加10名)。

 大林さんは全盲というハンディがあり、キリスト教との出会いから神学の道を進み、今は伝道師として礼拝説教と自らの生き方の証しされている。大林さんの生き方を通して、ともに生きる社会をどうつくるかを語り合った。

 第1部は小礼拝を持ち、大林さんの選んだ讃美歌21-446「主が手をとって起こせば」をともに歌った。この作詞者・今駒泰成さん(19262013)は川崎教会牧師・盲人伝道協議会主事で日本の視覚障がいの分野で先駆的な働きをされた方である。

 続いて聖書から2か所引用された。

・ヨハネによる福音書913

「(弟子たちの生まれつき目が見えないのは、だれの罪のためかとの問いに対して)イエスは『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである』」

・ローマの信徒への手紙1268

「私たちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。……(後略)」

 大林さんは、このイエスの言葉に衝撃を受け、自分にも必ず賜物があると信じて、伝道者になることを決意された。

 第2部では大林さんの生い立ちと、参加者の質問や感想を出し合って交流した。

 大林さんは、小学校から普通学校へ通いながら、愛知県立盲学校へ通い、その後、筑波大学附属視覚特別支援学校で学び、その後、同志社大学神学部に進学して京都教会の伝道師になった。

 健常者とともに学んだことで、社会へ出てからも多くの点で役立っている。たとえば、地元の豊橋では小学区ごとに成人式が行われるが、同級生が向こうから声をかけてくれ、全盲の自分をごく自然に介助・誘導してくれる。これは6年間のともの学びの成果だと思う。また、自分は漢字の変換が得意だが、普通学校でともに学んだことで身についた。市街地でも音響信号がない交差点や、点字ブロックへの路上駐車もまだある。大学や行政に声をあげながら安全対策を一歩一歩進めてもらっている。このことは障がいのある人だけでなく、他の人のためにもなる。全ての人にとって生きやすい社会を作る「ユニバーサルデザイン」をさらに進めるために、いろいろな分野の人々が声を上げていく必要がある。これらは義務教育で障がいのある・ない者が、ともに生活する中で自然につちかわれる。教会でも知らず知らずに障がいのある人を排除することがないようにしたい。

 将来は主任教師になり、小さい弱い立場の方々に寄り添う牧会活動をすることが夢だと語る大林さん。いろいろな教会・伝道所でも大林さんをはじめ当事者との交流の機会をもっていただきたい。

 

大林さん(京都教会伝道師)

話し合い


 

京都教区と韓国大田老會2023交流の報告

 

韓国基督教長老會 大田老會との

14回交流プログラムをふりかえって

大田老會との交流小委員長 滋賀地区 膳所教会

大山 修司

 1998年の交流開始から25年目を迎えた2023年、102731日に第14回交流ブログラムとして韓国基督教長老會の大田老會(老會とは教区の意味)を訪問しました。

 これまでの訪問は、815日(韓国の光復節)をはさむ日程が多かったのですが、この度は「ぜひ紅葉の美しい季節に来てください」と先方からお誘いを受けました。この呼びかけに応えて参加されたのは小笠原純さん(平安教会)、中井泰子さん(膳所教会)、永田真由美さん(丹波新生教会)、水野藤男さん(近江金田教会)、他谷尚さん(同志社大学神学部生)と私で、6名の訪問団となりました。

 3日目の1029日は主日で、小笠原純牧師は天安サルリム教会の礼拝にて説教奉仕され、また私は満恩教会にて説教の奉仕をさせていただき、参加者が二つの教会に分かれて礼拝を守ることができました。この日の午後、第一地区(天安、牙山地域)の信徒大会があり、この地域の20数教会の牧師・信徒の皆様が集われ、合唱や劇、踊り、楽器演奏など各教会の発表があり、交わりの時がもたれました。その中で私たちも韓国でよく知られている福音聖歌「花も」の歌で賛美いたしましたら、熱烈な拍手をいただきました。

 翌30日には論山セセム教会にて大田老會の臨時老會がもたれ、老會のほぼすべての議員(牧師、長老、役員)が参加されていましたが、そこで京都教区からのご挨拶と参加者紹介をさせていただきました。交流が20年をこえる中で久しぶりに出会ったなつかしい方々との再会もあり、交流を続けてくることができたことの喜びを強く感じるものでした。大田老會の方々がこの時期に来るようにと言われた意味を深く理解できました。

 そして今回も歴史を学ぶフィールドワークに参加させていただきました。柳寛順記念館と追慕碑、独立記念館、アウネ1923歴史記念館、東学農民軍抵抗の地、天安平和公園、望郷の丘などをめぐり多くのことを新たに学ばされました。

 2023年は関東大震災100周年で、アウネ1923歴史記念館はその関東大震災の時に引き起こされた朝鮮人虐殺の事件を歴史に刻もうとするものであります。開館に尽力された金ジョンス牧師は、関東大震災で虐殺された一人の朝鮮人青年の物語「飴売り具學永(ク・ハギョン)」という本を韓国語、日本語で出版されています。歴史について学び、そしてそれを何としても後世に残していこうとする金牧師の熱意に心打たれるものでありました。歴史を風化させ、なかったことにしようということがあからさまになされている日本の状況に抗い、歴史を学ぶための不断の努力が私たちに求められているということを強く感じさせられました。今後もどうか、この交流に対して京都教区の皆様にご理解とご協力をお願いするものです。

 

旅行嫌いは「テジョン」に誘われて

同志社大学神学部生 大阪・扇町教会 他谷 尚

 私は元来、旅行が苦手で、訪れる場所のことを学ばずに行ってはいけないと感じてしまう。そもそもどこかへ旅に行くこと自体が億劫で、それでも何かの拍子に訪れることになると、「来てよかったのかな」と旅の途中も、帰った後も考えてしまう。北海道、沖縄、奄美、韓国、台湾……、SNSからは楽しそうな旅行中の友人たちの姿が飛び込んでくる。でも、私にとっては、旅行がくれる「楽しさ」よりも、旅行が突きつけてくる自分の「無知」が怖く、気が重くなる。誰かの傷を抉りはしないか、誰かの存在を無視してはいないか、旅行中でも、そんなことがいつも気になる。

 それでも「テジョン」という言葉は、折に触れ聞いていた。高校の先生であった鄭富京さんからも、洛西教会の青年会で一緒だったキム・ジョンヨンさんからも、ネパール・ワークキャンプで一緒だった石田香織さんからも、らくなんクラブ(洛南保育園の放課後児童クラブ)で共に働く永田真由美さんからも。鄭富京先生からは「是非、崔享黙(天安サルリム教会牧師)さんに会うといいよ」とまで言われていたし、滋賀地区の社会委員会で一緒だった、竹内宙さんにも熱烈に参加を勧められた。同じく委員の大山修司さんとは、一緒に今回のプログラムに参加した。旅行嫌いの自分を大田に誘い出すような、周りの人々との出会いがあり、プログラムに参加したいと思うようになった。

 出発の一年以上前から、ハングルが読めるようになったらいいなと、毎日十分ほどの勉強をスマホで始めた。歴史の勉強も必要だと思って、アジア各地への日本の植民地政策や加害の歴史を知ろうとすればするほど、自分が受けてきた歴史教育に疑問が湧いた。恥ずかしながら知らないことも多く、自分は(教育上の)安倍世代なんだと、痛感することになった。出発前から考えることの多い旅だったが、大田についてからは大田老會のみなさんの歓迎を受け、泊まるのも快適、食べるものも美味しく、話すのも楽しい、とてもありがたい5日間を過ごすことができた。

 天安サルリム教会では、礼拝後に同年代のみなさんと昼食を取りながら過ごしたが、その人数の多さや、楽しそうな普段の活動、自分たちでしたいことをする自律した姿は羨ましくもあった。昼食後は、日程が重なっていたこともあり、地区の信徒大会に参加することができたのも貴重な経験であった。私自身は、日本でも信徒大会に参加した経験がなく、信徒大会デビューとなったが、その名の通り、地区の信徒が歌や踊りや芝居などで、お互いを楽しませあっているのが印象的であった。誰か講師を呼んで話を聞く、という「大会」に頭が慣れてしまっているからか、「ほんとに信徒の大会だ!」と新鮮な気分だった。

 限られた時間の中でたくさんの場所に連れて行っていただいた。東学農民運動にゆかりの深い場所や、柳寛順の記念館や生家、百済の古都である扶余、関東大震災における朝鮮人虐殺の歴史資料が集まる「記憶と平和のための1923歴史館」、独立記念館などを訪れることができた。独立記念館では、韓国人の来館者の方に日本語で展示の説明をしていただくという経験もした。

 事前に勉強してきたことが無駄であったとは思わないが、紙上の文字から感じることとは比べ物にならないほど、実際に訪れて、自分の身をその場に置いてみることで初めて考えることや、気づくことは多く、身体で学ぶことの意味を感じた。同時に、連続する歴史の中に自分が置かれているということも強く意識した。教科書も、裁判も、金も、嘘も、暴力も、暴言も、歴史を「終わったこと」にはできない。歴史の中に生きていることを受け入れ、真実を求めながら、共に生きようとするあり方こそが必要なのだろう。「終わったこと」として歴史をぶつ切りにしようとする動きにはNO!を、真実を求めて共に生きようとする生活には!(韓国語で「ネ!」=「はい!」)を言える自分でありたいし、教会もそうありたいと思う。

 最後に、このようなプログラムの継続に尽力してこられた大田老會と京都教区の方々、今回のプログラム実現に向けてお支えくださった京都教区の皆様、暖かく迎えてもてなしていただいた大田老會、天安サルリム教会のみなさんに感謝いたします。ありがとうございました。

 

大田老會第14回交流プログラムに

参加させていただいて感想

滋賀地区 膳所教会 中井 泰子

 韓国の土の上で、日本の恥ずべき罪を謝りたいと思いながら、金浦空港につきました。その重かった思いを果たさせていただき、天安サルリム教会に着きました時、たくさんの信徒の方が花びらを振りかけて迎えてくださいました。なんとあたたかく優しいお迎えでしょう、と胸のつまる思いがしました。その日、教会の方が作ってくださいました豊かでおいしい夕食をいただき、一気に打ち解けさせていただきました。日曜日の礼拝で再度教会を訪れ、朝から草餅をいただき、シネさんの日本語での解説のお陰で楽しい交わりの時を過ごしました。礼拝の中で「人間の歌」のコーラスをしてくださり、この教会で教えていただくまで、こんなすばらしい歌が日本にあることを知りませんでした。

 交流に参加することで、思っていた以上に、日本の犯した罪の深さを知ることになりました。自国の身分格差の苦しみ、日本の残虐な圧制の苦しみを耐え、抵抗してつくりあげた現在の国の姿から生まれた言葉が、平和の少女像に書かれていた「韓国の主人公は民衆」にあらわされていました。慰められたことは、壮大な「望郷の丘」には、異国で韓国を思いながら亡くなられた方々のお墓が、国営で美しく建てられていることでした。日本の炭鉱での過酷な労働や事故で亡くなられた方々や、関東大震災のデマで命を失くされた方々の魂が平安を得られて眠っておられる気がしました。またその墓地には、慰安婦にされて苦難の道を歩まれたお二人のお墓もありましたが、きっとお二人の陰にたくさんの苦しまれた慰安婦の方がおられることと思いました。

 4日目に訪れました、蓮と菊の花でいろどられた扶余の庭園の美しい景色が、日本に帰ってからも脳裏に焼き付いています。ドイツのアンドレアス・ホフマンリヒター宣教師(編者注・京都教区宣教師で大田老會との交流の仲介者)の深い信仰から発せられた思いを共に、大田老會と京都教区の交流を、25年の長きにわたり続けてくださっていますことを感謝いたします。交流会の交わりの中では、いつもイエス・キリストの優しい眼差しを感じさせていただきました。参加した者として、まわりの方々に日本の許しがたい身勝手な侵略の歴史のことを伝える責任を思います。過去の歴史の過ちを認めて、韓国の方々との友情を強めてほしいと思いました。

 

大田老會との交流プログラムに

参加して思うこと

滋賀地区 近江金田教会 水野 藤男

 「日本人は、植民地支配についてあまりにも無自覚な人と、やたらに反省する人の二極化が激しいのではないか……。話をするときも肩の力を抜いて話し合えるはずである。」『韓国の「昭和」を歩く』(鄭銀淑著 祥伝社 2005) この度の訪韓であらためてその思いを強くしました。帰国後にいくつかの文献を見てもそう思いました。日本でもモニュメントはありますが、そう目立ちません。島国で外的の侵入は歴史上イギリスとよく似ています。日本は過去モンゴル、そして完膚なきまでに打ちのめされた先の大戦の2回だけですが、韓国は地続きの大国に幾度となく苦しめられた。冊封体制ではこのようにして国論をまとめなくてはならないのかと思いました。

 私は近代史を40年ほど前から学んでいますが、韓国は被害者の立場が多いのに、古代はともかく李氏王朝時代の指導者たちはどのような対策で臨んでいたのか、という記述がありません。この国の人々がどのようであったかが、日本側の見方からは、特に対策もなく右顧左眄していたように見えます。臥薪嘗胆のようなきびしい政策も見えません。このことは不思議でした。武力のみでなく経済力、科学、外交という総合力を高め、そして民を豊かにする公平、正義というようなことを実行しなかったのかという疑問があります。きびしい身分制度などは総合力を強めることはありません。

 たくさんのモニュメントを見せていただきました。400年前に豊臣秀吉の朝鮮侵略の時の展示がありました。復讐、仇討ちの行為がほめそやされていた時代がありましたが、今は、はっきりと、それは良い結果を生まない、良い社会を産まない事が認識されています。戦争は人々の命と希望を奪い、大きな犠牲のみを残します。私たち国民の多くは広島長崎への原爆投下を、原爆そのものを憎みますが、アメリカを憎む人は少ないと思います。当時の政治家が間違った判断の上に戦争をしたこと、マスコミが日清、日露の戦争をポピュリズム的にあおったこと等が大きな原因の一つだと思います。

 このようにたくさんのモニュメントを見せる相手は私たちのような者にだけではなく、国民特に青少年に対してのものでもあるのでしょう。私は20年前に教会の行事で旧東ドイツのワイマールへ行きました。ゲーテ、シラー、バッハのような人たちが活躍した街、第一次大戦のあとのワイマール憲法のあの街で、その郊外にブッヘンヴァルトの森という所に行きました。アウシュビッツと比べて規模は小さかったのですが、同じ虐殺の施設です。大変美しい所で、その景色には似合わない事が行われていたのです。驚いたことに小学生が先生に引率されて団体でこの場所に学びに来ていました。なんとドイツの人は自国の負の遺産に向きあっていました。今の日本ではありえないことです。我が国でも、醜いものも、誇れるものも、ありのままを青少年には見せ、学ばせるべきだと思いました。

 ラインホルト・ニーバーの祈り「変えられないものを受け入れる潔さと、変えるべきものを変える勇気、その両者を見分ける知恵を私たちにお与え下さい。」私たちはまず、この変えられない歴史を認め、その学びの中で、両国が親交を深めていくことが必要だと思いました。今回の交流会のために祈り、準備し、お世話して下さいました大田老會の関係者の皆さまに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

大田老會との

交流プログラムに参加して

京都南部地区 平安教会 小笠原 純

 20231027(金)31火)、京都教区と韓国基督教長老会大田老會との交流プログラムに参加いたしました。出発前の準備会への参加動機については、わたしは次のように書きました。

 「日本基督教団大阪教区は韓国基督教長老会京畿南老會と交流をしていました。大阪教区にいたときに、何度か交流プログラムに参加をいたしました。大阪教区と京畿南老會の交流は、京都教区と大田老會との交流を参考にして始まったとお聞きしていました。そうしたこともあり、ぜひ大田老會との交流プログラムに参加したいと思いました。日本の侵略戦争の歴史を踏まえ、悔い改めつつ、韓日の教会の交流をとおして、平和を創り出すキリスト者の歩みを、共に祈りつつ歩んでいきたいと思っています。また、少子高齢化や経済格差など、韓国と日本は共通の課題を抱えています。いまの韓国の様子・教会の担っている課題への取組みを知り、日本での宣教・伝道にいかしたいと思っています」。

 交流プログラムの日程は、別に報告がなされるので詳細はそちらのほうに譲りたいと思います。

 大田市にある独立記念館、柳寛順歴史遺跡、1923年記念と平和のための歴史博物館(関東大震災時の朝鮮人虐殺についての金鐘洙牧師のお話)などを訪れ、日本が犯した罪の深さを思わされました。独立記念館は、以前一人で韓国を旅行したときに訪れましたが、交流プログラムとして韓国の方々の案内によって訪れるというのは、またとても重みのあるものだと思わされました。大田老會の臨時総会や、地区の信徒大会などの公式的な交わりも、交流を続ける上でとても有意義なことだと思いました。論山・扶余などの歴史的な地域を訪れることができたのも、こころ豊かな体験でした。

 1029(日)に天安サルリム教会での説教奉仕の機会が与えられるということでしたので、同教会の崔亨黙牧師の著書『権力を志向する韓国のキリスト教』(新教出版社)と『無礼者たちのクリスマス韓国キリスト教保守主義批判』(崔亨黙ほか共著、かんよう出版)を読みました。わたしが神学部で学んでいたとき、韓国の「民衆の神学」が紹介されていました。当時大きな憧れをもって、李仁夏・木田献一監修『民衆の神学』(新教出版社)などを読みました。

 天安サルリム教会での礼拝説教では、次のような感謝の言葉で始めました。「天安サルリム教会に招かれまして、こうして皆様と共に礼拝を守ることができますことを、まず神さまに感謝したいと思います。韓国の教会は私たち日本の教会に、キリスト教における赦しの大切さを教えてくださいました。日本基督教団は1967年に『第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白』を公にいたしました。アジアの諸教会はこのことを受けとめてくださり、日本基督教団の諸教会に対して赦しと和解の道を示してくださいました。今回、独立記念館や柳寛順歴史遺跡等などをお訪ねすることができ、感謝でした。大田老会の諸教会との交わりをこころから感謝いたします」。そのあとは、日本の教会でどのような説教がなされているのかをお伝えする意味で、わたしが日本でする一般的な説教をいたしました。日本が犯した罪についての謝罪ということは、とても大切だと思います。そしてそれにもまして、韓国の教会から赦しという神さまの愛に満ちた恵みを教えていただいたということが、クリスチャンであるわたしにとってはとても大切なことのように思えます。

 交流プログラムに参加するにあたり、わたしがはじめて見た韓国映画の『猟奇的な彼女』を久しぶりに見ました。2001年に上映されたロマンチック・コメディの映画です。主人公は大学生で、授業で代返などをしていて、のんびりとした印象を受けます。2020年のアメリカ・アカデミー賞作品賞を受賞した映画、『パラサイト半地下の家族』では、韓国社会における格差のようなものが背景として語られています。いまわたしが見ている日本のドラマ『たとえあなたを忘れても』は、神戸を舞台にしている恋愛ドラマですが、主人公の女性はご飯にふりかけだけの食事をしたりします。服はかわいらしい服を着ています。格差や貧困、若者の生きにくさということについて、日本の社会状況を考える上でも、韓国の状況や教会の取組みを知りたいと思いました。

 大田老會のみなさまから、本当にこころのこもったおもてなしを受けて、とてもこころがあたたかくなりました。日本の侵略の歴史を顧みる時に、それでも日本のクリスチャンである私たちを受け入れてくださり、愛に満ちた信仰の交わりを続けてくださることに、こころからの尊敬の気持ちと感謝を申し上げたいと思いました。


 

教団「第15回部落解放全国会議in京都」報告

同会議実行委員長 両丹地区 丹波新生教会 片岡 広明

 日本基督教団の第15回部落解放全国会議in京都が92628日に京都教会を主会場に行われた。テーマは「水平社100年と『わたし』そしてこれから」、副題「きれいな言葉ではなくてもいい 一人ひとりの言葉で語ろう」。全国より91名の参加があった。

 一日目最初の「招きの集い」では、部落差別と障がい者差別の経験を併せ持つ方の被差別体験が紹介された。基調講演では京都で長く部落解放運動に携わってこられた山本栄子さんが「わたしの歩み―水平社100年」と題して語られた。山本さんは現在92歳。部落解放運動と出会い、「文字を取り戻せ」との教えを受け、差別と貧困の中で十分に受けられなかった教育を取り戻すべく、自宅を開放して識字教室を開いた。識字教室は文字を覚えるだけでなく、差別に苦しむ人々が励まし合い、共に解放を目指す仲間作りの場でもあった。定年後、夜間中学から高校、大学へと進み、若い人々と机を並べて学んだ。水平社から101年、今なお差別はなくならないが、山本さんは差別に苦しみ、差別と闘う人々との新しい出会いを求めて活動されている。一日目夜の主題講演では地域福祉センター「希望の家」所長の前川修さんが「全国水平社大会宣言について」と題して水平社宣言成立の背景と問題点について語られた。二日目は前川修さんが「崇仁・東九条の歴史とこれから」と題して被差別地域の現実について語られた。続いて在日コリアンでキリスト者である朴実さんが「差別の現実と教会」と題し、在日コリアンとして経験された人生の苦労や教会での苦悩と闘い、差別を乗り越えて人々が共に生きるための実践としての東九条マダンの取り組みに関することなどを語られた。二日目午後には被差別部落や在日コリアンの人々が多く住む地域でフィールドワークを行い、差別を乗り越えて人々が共に生きる実践をされている現場を訪ねた。三日目は分団協議と全体会で三日間を振り返った。その後、「部落解放センターより」と題して鈴木祈教団部落解放センター運営委員長による、教団部落解放センターのこれまでの歩みと、2022年度に起こったとされる部落解放センターでの「人権侵害」に関する取り組みの現状について説明があった。最後の「出発の集い」では、長く教団部落解放センター運営委員長をつとめ、今年逝去された東岡山治さんの娘さんである東岡(前田)ゆたかさんによる「父が歩んだ道」と題する証し聞き、東岡山治さんが愛された歌「若者たち」を皆で歌った。「君の行く道は果てしなく遠い」「君の行く道は希望へと続く」。

 

狭山裁判の第3次再審請求市民集会とキリスト者集会

教区部落解放センター主事 滋賀地区 近江平安教会 鳥井 新平

 20231031日に東京日比谷公園で、石川一雄さんの再審請求を訴える市民集会が行なわれました。この日は49年前に当時の寺尾裁判長から死刑の不当判決が出された日です。部落差別を基に別件逮捕された24歳の石川一雄さんは、もうすぐ85歳になられます。沢山の無実を証明する証拠や証人の検討尋問がなされないままに、今担当する大野裁判長が12月に退官を予定されています。なんとしても、第3次再審請求を通し、11人の証人尋問と万年筆の成分調べを実施していただきたい、との悲願が多くの方から訴えられました。また、日比谷公園での市民集会に先立ち、神谷町の聖アンデレ教会においてキリスト者前段集会が行なわれ、超教派で石川さんの無罪獲得に向けて祈りが合わせられました。

 京都教区からは、横田明典さん・えなさん(近江金田教会)片岡希望さん(紫野教会)伊藤頼子さん・愛さん(近江平安教会)の参加がありました。


 

教会とセクシュアル・ハラスメント問題

セクシュアル・ハラスメント問題小委員会

 セクシュアル・ハラスメント問題小委員会は2002年に京都教区常置委員会のもとに設置され、ハラスメントを引きおこしやすい教会内での力関係を問いながらハラスメント防止の活動を続けています。

 これから「ハラスメントのない教会に!」を連載します。性的な言動や性差別的な意識のみならず、固定観念に基づく認識や役割の押し付けなどもハラスメントにあたります。教会においても、無自覚のうちに起こり得るものですから、誰もが加害者になり得るものと自覚して、自分の課題として向き合うことが大切ではないでしょうか。

 

連載「ハラスメントのない教会に!」

1回 教会にハラスメントって関係あるの?

 「教会で起こるハラスメント」と聞いた時、みなさんはどのような状況をイメージするでしょうか。もしかしたら、「そんなもの、教会にはない!」と思う方もいらっしゃるかもしれません。ですが教会にも、いいえ、教会だからこそ起こるハラスメントが確かにあるのです。

 そこには、教会の中にある権力構造が大きく影響しています。「牧師だから」「信徒だから」、「長く教会にいるから」「最近来た人だから」、「年齢が上だから」「若いから」「子どもだから」、「女性だから」「男性だから」…などなど。こうした意識をベースにして組織がつくられると、そこには不均衡な権力構造が生まれます。そしてより優位性の高い側が、自分の持つ力を自覚せずにいる時、その組織はハラスメントの温床になりやすくなってしまうのです。

 ハラスメントは、それを受けた相手の尊厳や人格を傷つけ、人権を侵害する行為です。隣人愛を説くキリスト教の共同体である教会の中でこうしたハラスメントが起こることは、本来あってはならないことです。では、どうすればハラスメントをなくし、誰にとっても開かれた教会を築くことができるのでしょうか。

 まずは、ハラスメントの問題を自分事として捉え、知識をアップデート(更新)させていくことが大切です。優位性や特権を持つ側にいる時、人はそのことになかなか気づくことができません。むしろ、自分よりも優位性や特権を多く持っている人のことが目に付き、「自分には力なんてないのに」と思うこともあるかもしれません。ですが、そこで1度立ち止まって考えてみてほしいのです。自分の性別や年齢、社会的立場、学歴や経歴などには、誰かに力を感じさせるような面がなかったと本当にいえるでしょうか。自分の持つ属性に関係なく、どんな人とも対等に話し合ったり、相手の素直な意志を聴くことができていたでしょうか。

 教会につながる全ての人が平等であり、お互いに尊重し合うことができるような環境を作り出すためには、自らの持つ優位性や特権を自覚することと、ハラスメントが起こる力関係やそれを生み出す権力構造について学ぶことが必要です。教会からハラスメントをなくしていくために、共に学びを続けていきましょう。


 

大阪・関西万博を考える

「教会と社会」特設委員会 滋賀地区 近江平安教会 鳥井 新平

 128日(日)1500、室町教会に対面・オンラインあわせて84名の人が集まった。京都・兵庫・大阪の教団三教区にまたがって、社会問題を考える各教区の委員会が共催した集会だ。主催者代表挨拶に立った川上信さん(八日市教会)は、この企画を発案した大阪教区社会委員会のファインプレーをたたえながら、「イエスは社会変革者だった。私たちも自分の思いをぶつけよう。」と挨拶した。

 この日の講師は、東京から反五輪の会メンバーの、いちむらみさこさんをお招きして、東京五輪で街はどのように変化させられていったかを、具体的に学ぶことができた。「オリンピックだから仕方がない」といった空気が蔓延する中、公園や路上で生活する野宿者が排除され、大企業と富裕層のために再開発が急ピッチですすめられ、貧困層の生活破壊が行なわれた。たくさんの樹木が切り倒され、陰のなくなった街は酷暑の中に環境破壊を加速化させた。貧乏人を追い出して金持ちが住むタワーマンション。開発・投資の対象とされる公園。「多様性とアート」の名目ですすめられる弱者の生きる権利の剥奪(はくだつ)。工期厳守で追い立てられる労働者の過労死や自死。大型重機の事故。「スポーツと軍事、そしてキリスト教は親和性がある」という、いちむらみさこ講師の声が重く響いた。

 休憩の後、登壇した堀江有里さん(京都教区巡回教師)はいちむらさんの話された東京五輪の様々な問題点と共通する大阪・関西万博をどのように考えて行くのか、講師との対話によってその問題点を深めて論議された。堀江さんは三教区が合同でつながり、リレー形式でこのような集会をもっていくことの意義を訴えつつ、目の前に起こっている出来事に立ち上がり、人をまきこんでやる運動の成り立ちについて、いちむらさんに問いかけられた。いちむらさんは、自分たちはオリンピックで何を失ったか、イスを並べて語り合い、聴き合う「オリンピック・喪失のワークショップ」を紹介しながら、庶民が街で話し合える「場をつくる・場をとりかえす」ことを話された。教会がまさにそのような場になるようにと、祈る思いで会場を後にした。

 

編集後記

 今年は暖冬だというが、それでもやはり2月は寒い。外に出るにも手袋は必需品だ。

 寒い日の手袋と言えば、絵本の「てぶくろ」。雪の降る中、森を歩いていたおじいさんが、手袋を片方落とす。すると手袋を見つけたネズミがその中で住み、次にカエル、その次にうさぎ、その次にオオカミ・・・と次々に動物が一緒に手袋の中に住みはじめる。とうとう7匹もの動物が中に入ってパンパンになった手袋。ネズミやウサギなど小動物が、天敵のはずのオオカミやクマ、キツネと一緒に仲良く手袋をシェアする不思議な光景はなんだか優しい気持ちになれる。イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、日本の我々にできることは次のことだと言う。「平和のためのスペースを取っておくこと。平和のための余地を守ること。なぜなら、やがてそこに、今、憎しみと苦しみに浸る私たちが、住むために」。ウクライナでの戦争、パレスチナでの戦争、能登半島での大地震、私たちの住む状況は、とても寒い。だからこそ、主の平和というスペースを作って、身を寄せ合う必要がある。(MM


 

デナリオン瓦版

 

編集:京都教区・教職謝儀委員会

委員長・横田明典

 

 こんにちは!教職謝儀委員会です。毎年1回この時期に「デナリオン瓦版」として皆さんにデナリオン献金の現状や報告、またお願いをさせていただいています。どうぞ、趣旨をご理解くださり、ご協力をお願いいたします。

 

ご協力ありがとうございます!

 

 京都教区では、教区の宣教連帯の働きの一つとして、デナリオン、教職互助、クリスマスなどの献金が、教区経常会計繰入を合わせて、教会謝儀支援のために用いられています。教区内の諸教会に連なる皆さんが、それぞれの教会の働きを覚え、支えて下さるこれらの献金に心から感謝いたします。2022年度は54の教会・伝道所と、3つの団体から4,289,394円の献金をいただきました。ありがとうございました。

 また2023年度は、宇治大久保伝道所、近江平安教会、堅田教会、上鳥羽教会、京都上桂伝道所、京都西大路教会、城陽教会、丹後宮津教会、長浜教会、西小倉めぐみ教会、向島伝道所に、総額738万円の教会謝儀支援金をお送りしています。

 

デナリオン献金とは?

 詳しくは、デナリオン献金の封筒、依頼状に同封させていただいている「デナリオン献金参加の呼びかけ」のパンフレットをご覧いただければと思います。1992年から始まったこの献金運動は、規則の上では変化がありましたが、教区内の宣教を担う教会への支援として、全教会・全信徒・全教職が参加する、宣教連帯の働きとしては、当初から変わらずに続けられています。

 現在は、経常収入450万円以下の教会・伝道所が、主任担任教師の謝儀支出が困難な場合、年100万円を上限に申請できる制度です。詳しくは教区総会議案書巻末の「教会謝儀支援規則」を御覧ください。毎年皆さんからいただくデナリオン献金などが約500万円前後、これに教区経常会計の1割にあたる約280万円を加えた額が、支給総額となります。なかなか申請額通りの支給はできていませんが、少しでも宣教を担う教会・伝道所の働きを支えたいと願っています。

 

お願いとご報告

 2023度はまだ集計はできていませんが、この数年はデナリオン献金にもコロナ禍の影響が出ているように思います。教会そのものの財政も厳しいところですが、お互いに支え合いながら連帯の思いを持ってご協力いただければ幸いです。今年度の集計分は2025年度に実施される教会謝儀支援の原資となります。

 それぞれの教会・伝道所では、デナリオン担当者をお選びいただいていますが、まだのところがありましたら、選出をよろしくお願いします。

 毎年、デナリオン担当者懇談会を開催し、現状の説明や相談事を共有してきましたが、コロナ禍の間、開催できませんでした。担当者の方で困りごと等ありましたら、委員なり、委員長なりに直接お尋ねいただければと思います。

 2023年度は少しずつ集会等も開催され始めましたので、これからデナリオンコーヒーの提供も始まることと思います。

 震災、戦争等、心痛めることが多くありますが、連帯の輪を広げていきたいと願っています。

 次年度もよろしくお願いします。