─滋賀・両丹・京都南部の3地区 76教会・伝道所と地域の宣教のために

日本基督教団 京都教区ニュース

THE UNITED CHURCH OF CHRIST IN JAPAN - KYOTO DISTRICT

今総会期 第2号 発行 2023228

 

発行人 今井牧夫 編集人 内山友也

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TEL 075-451-3556FAX 075-451-0630/教区HP http://www.uccj-kyoto.com

 

 

われらは会津を見た、青年部である!

同志社大学神学研究科前期課程 澤田 果歩

 

 20229月、京都南部地区青年部のメンバーで福島県の会津地区へ行ってきました。この「会津キャラバン」の大きな目的は、会津地区で行われている共同牧会を実際に見に行き、学び、京都教区や全国の教会の将来について考えることでした。

 会津地区では、4教会2牧師の共同牧会が行われています。川桁伝道所、猪苗代教会、会津坂下教会、会津本郷教会の4つの教会を、髙橋真人牧師と新田恭平牧師のお二人が担っておられます。今回はそのお二人とともに各教会を巡り、それぞれの教会の歴史や現状、どのように共同牧会が行われているのかをお話しいただきました。

 私は会津キャラバンに参加するまで、共同牧会という言葉をほとんど聞いたことがありませんでした。1つの教会に1人の牧師がいることが当たり前の環境で過ごし、今後もその状態が続くものだと根拠なく考えていました。ですがそれは私が今まで過ごしてきた教会が偶然そうであっただけで、地方の教会や小さな教会ではすでに1教会1牧師の形は続けられなくなくなっていることを知りました。

 この事実にみなさんは何を感じるでしょうか? 言葉だけ聞くと、なんだかマイナスなことのように感じられるかもしれません。ですが私が会津の共同牧会を見て得た学びは、共同牧会だからこその豊かさがここにはある、ということでした。教会同士の横のつながりがあり、地域のニーズに合わせてその役割・機能を変化させ、それぞれの教会の在り方を尊重しながら協働する牧会の形は、教会の将来を考える上で大きな可能性を秘めていると感じました。

 京都教区の各教会・伝道所に、この度の会津キャラバンの報告文集をお送りさせていただいています。私たちの会津での学びをより詳しく共有するとともに、多くの方々と一緒に教会の未来について考えていくことができれば嬉しいです。

 

髙橋 真人(会津坂下教会・会津本郷教会・猪苗代教会・川桁伝道所 牧師)

 

「京都の若者たち、しっかり考えてます!」

 97日(水)~9日(金)の日程で、京都教区南部地区青年部6名と日本聖書神学校神学生1名が東北教区会津地区を訪ねてくれました。

 会津地区で展開している共同牧会(4教会2教師)について学びたいと、98日(木)の丸一日を使って3教会1伝道所のすべてに足を運び、それぞれの場所で各教会・伝道所の歴史を含めて現場を見て感じてもらいました。

 移動の車中でも「これからの教会」について意見交換。日本の教会の現状(一部分ではあっても)を目の当たりにして、どうにかしてこれからの教会の姿を思い描こうと模索する彼らの言葉やその思いに、頼もしさを覚えました。

 一つの教会ではその存立が難しくなるであろう

(すでにそうなっている現実も多数ある)状況で、

「キリストの福音に生き、キリストの福音を伝える」ことのために、言葉を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、一緒に悩み、一緒に喜び、共に歩むことが、もうすでに彼らの中に始まっていることを感じます。

 

新田 恭平(会津坂下教会・会津本郷教会・猪苗代教会・川桁伝道所 牧師)

 

 京都教区南部地区青年部の皆さま、この度は、はるばる会津までお越しいただきありがとうございました! 私としても、共同牧会の歩みをお伝えすることで、その働きの意義や、地区の宣教共働への思いを改めて見つめ直すことができる貴重な機会となりました。

 教勢が弱まると都市部では近隣の教会と合併もできるかもしれませんが、会津ではそうもいきません。“隣の教会”までの距離が本当に遠いのです。その距離を今回感じてもらえたのではないかと思います。「ただ、物理的な距離は離れていても、心は離れていない。主に在って一つ。」という恵みもまた感じてもらえたのではないかと思っています。

 安易な合併はしないという共通理解のもと、その中で“おらが町”の宣教拠点をいかにして守ることができるか、立ち続けることができるか、教会の枠を超えて分かち合い、担い合い、語り合えることが会津地区の恵みだと感じています。

 京都生まれ、京都育ちの私が東北の地へ導かれて16年。地方の伝道の困難さが身に沁みることもたくさんありますが、一方で恵みにもたくさん与っています。百聞は一見に如かず。京都の皆さま、ぜひ一度会津へ足をお運びください!

 

若松栄町教会にて

会津坂下教会にて

 

 

「コロナ禍における障がいのある人たちの生活と活動について」学習会の報告

 

 京都教区障がい者問題特設委員会では、2016年の神奈川県相模原市の「津久井やまゆり園」事件をきっかけに、「生産性」や「効率」といった価値観に支配されずに、誰もが安心して過ごせる地域のあり方を学び続けてきました。

 今年は、障がいのあるなしに関わらず、社会からマイノリティのレッテルを張られて画一的に見られがちな人たちの個性や才能を生かした活動を通して、地域の人たちと交流しているエイブル・パフォーマンス集団『ガラ(柄)』の皆さんとの交流会を2022717日(日)向島伝道所で行いました(参加者約20名)。

 コロナ禍で対面の機会が減った反面、それまで外へ出るのが大変だったのがリモートで寝た状態でもつながることができたり、体調や天候によって左右されず、体温測定やマスクの着用や消毒など健康に気を使うようになり風邪を引かないようになったなど、プラス面もあったという。

 この集団『柄』では一人一人の才能を生かすことをめざして「何をしたいか」から始め、「面白そうなこと」「面白い出会い」を大事にして、歌・演奏・絵画・工芸・おしゃべり・料理・コーヒー作りなど、様々なプログラムを実現して楽しんでいる。

 会場では、本格的なコーヒーを十数年間追求されているSさんが作ったコーヒーをみんなで味わって飲ませていただいた。

 これから多くの方々との交流を希望されているので、教会でも機会を作って、気軽に声をかけてほしいとのことでした。(下記に柄の連絡先など)

(草津教会員 永島鉄雄記)

 

Facebook          エイブルパフォーマンス集団ガラ(柄)

e-mail yuriyogaiagmail.com

(事務局 吉村)

 

“ガラ(柄)”の4つの事業

1.住民や学生や関係者との交流事業

2.イベント企画、イベントへのメンバー派遣

3.研修会等の実施、研修会等へのメンバー派遣

4.メンバー企画の研修会等の教材づくり

 

 

ウトロに行ってきました。~滋賀地区社会委員会~

同志社大学神学研究科後期課程 佐々木 結

 

 1017日「おとなと子どもが共に考える環境問題集会2022」として、京都府宇治市伊勢田町で、ウトロ・フィールドワークを開催した。参加者は35名、そのうち子どもは3名だった。4月にオープンしたばかりのウトロ平和祈念館と、ヘイトクライム(憎悪犯罪)と呼ばれる昨年の放火現場などを斎藤正樹さん、田川明子さん、村木美都子さんの3名に案内していただいた(贅沢!)。迎えてくれた皆さんと参加してくれた皆さんにこの場を借りて感謝したい。

 残念だったのは、「おとなと子どもが共に」というテーマを掲げながら、例の如くおとな中心になってしまったことだ。私自身も企画者の1人であるが、常々批難している「だれでもどうぞ」と言いながら内輪ばかりで盛り上がる教会の体質と同じものを露呈してしまった。だから、ここでは子どもたちに向けて報告したいと思う。

 

 みんな、「ウトロ」ってしってる? 「在日コリアン」たちが多く住んでいるところだよ。

 「在日コリアン」っていうのは、日本が戦争の時などにちょうせん半島から日本に連れてこられたり、仕事を日本人に横取りされて新しい仕事を探すためだったり、いろいろな理由で仕方なく日本にやって来た人、その子ども、まご、ひまご、ひひまご、、、たちのことなどをいうんだ。

 でも、戦争は77年前に終わったよね。どうして日本に残られたのだろう? それは、日本が戦争に負けた後に、今度は「ちょうせん戦争」という戦争が始まったからだ。ふるさとに帰れなくなったり、一度帰ったけど戦争から逃げてまた日本にもどってきた人もいたんだ。

 日本に来れば戦争に巻き込まれる心配は減った。でも、差別されたり、びんぼうだったりしてたいへんだったそうだよ。

 ボクたちがたずねたウトロという場所はもともと、飛行場をつくる仕事のためにやってきた人たちの寮があったところなんだって。しかも、平らな滑走路をつくるために必要なたくさんの土をここから持っていってしまったから、まわりよりも高さが低い。なので今でも雨がたくさんふると水びたしになってしまうんだ。(ボクらが行ったときもそんな場所を見た)。

 それだけじゃない。「ウトロ」は1987年まで水道と下水道がなかった。土地の持ち主という人が突然あらわれて「出てけ!」と言われたりもした。最近では、放火をされる事件まであった。

 これを読んでくれている人の中には学校などで

「かんきょう」について勉強した人もいると思う。その時はきっと、「地球温暖化」とか「森林はかい」とかいう話を聞いたんじゃないかと思う。でも、それだけが「かんきょう問題」じゃないとボクは考えている。

 「かんきょう問題」とは、こわい思いをしないで住める家があるか、ごはんをちゃんと食べられるか、となりに住んでいる人、となりのとなりの人、そのまた隣の人、、、を大切にできるか。だから「かんきょう問題」はみんなにも関係がある問題なんだ!

 みんなも身近な「かんきょう問題」について考えてみてほしい。そして考えたことを滋賀地区社会委員会まで教えてほしい! ボクは25歳、おじいさんたちとより、わかいみんなと一緒に考えたいと思ってる。よろしく!

 

 

京都教区と韓国大田老會の交流プログラム報告

京都教区総会議長・京北教会 今井 牧夫

 

 2022112228日、京都教区が1998年から交流を続ける韓國基督教長老會の大田(テジョン)老會(老會は教区の意味)から信徒2名を迎えて、第13回交流プログラムを行いました。コロナ禍で行き来が途絶えて3年ぶりの対面交流として、教区の三地区で有意義な交流を行いました。主な訪問先は以下です。京都南部地区は同志社大学内の尹東柱(ユン・ドンジュ)詩碑、京都教会、バザールカフェのフィエスタ(祝祭)、ゴスペルハウス教会、京北教会、東九条地域、カフェほっこり、ウトロ平和祈念館、洛西教会礼拝奨励など。両丹地区では物部教会、舞鶴の浮島丸沈没慰霊碑、福知山教会など。滋賀地区では彦根教会、近江八幡教会、朝鮮通信使が通った朝鮮人街道、鬼室神社、水口教会、さんまクラブ、信楽陶芸など。各地区主催での歓迎夕食会や常置委員会主催の歓送会など含めて、今回ご協力いただいた、日韓のすべての方々に深く感謝します。次年度の交流プログラムは韓国での予定です。それらと別に20231月には、大田老會代表3名を迎えて実務会議・交流会を有意義に行いました。教区内の皆様、この貴重な交流を祈りをもってお支え下さい。2023年度は交流25周年を迎えて共に平和を祈ります。

 

13回交流プログラムの感想

(翻訳 大山修司 膳所教会)

 

鄭 周壱(チョン・ジュイル)論山セセム教会員

 

 日本のキリスト教と日本文化など日本について全くの門外漢であった状態で、日本の京都教区と大田老會との交流プログラムに参加することができ、大田老會と京都教区の関係の方々に感謝いたします。

 第一の感想は、まことに有益なプログラムであったということです。67日間の少し長い日程でしたが、日本の牧師たちをはじめ役割を担ってくださった皆さんが真心を尽くしてもてなしてくださったことを感じられました。

 歴史的に意味のある訪問地は、浮島丸沈没を記念する場所と、鬼室神社の訪問、そしてウトロ平和祈念館の訪問でした。そして日本の各教会を巡ったのですが、すべてにおいて歴史と伝統が感じられました。規模や信徒数が少ないけれどもイエス様の言葉を実践し、社会に奉仕し、疎外された隣人と共に歩もうとする姿を見ました。韓国の教会も量的な成長にばかり没頭するのではなく、質的成長や教会という存在の本質的な問題に、より集中できればと考えます。

 特に最初の日、金度亨牧師より、自由と良心、自主を土台とするキリスト教精神に立脚する同志社大学について学び、また礼拝堂のすぐ隣に建てられている尹東柱詩碑について詳しく説明してくださいました。暗鬱とした日帝時代を経る中、いわゆる指導者たちは変節し、日帝に積極協力して賞金を得、その地位を維持し、威勢高々に暮らし、今日に至るまで親日派として非難されて当然な者たちが多くいるのですが、しかし尹東柱詩人はわが国や日本において非難する人はないと言われた言葉が思い出されます。

 かつて天皇がいた御所と仏教寺院の間にキリスト教の大学である同志社大学があるが、今日まで中心地に位置し続けられているのは、新島襄をはじめ先達の献身があったことを忘れてはならないと私も思います。特に、建物が古くなり、工事が必要な建物を壊して再び建てるよりも、はるかに費用が掛かる(およそ3倍)のに伝統を守るために、補修工事を選択したという日本人たちの選択が印象深いです。

 そして、以前は毎年開かれてきた、バザールカフェのフィエスタ(バザー)がコロナのために3年ぶりの再開となった日に参加でき意義深かったです。雨が降り、大変でしたが、小さな村の分かち合いの宴を感じることができました。性的少数者や困難をかかえつつ生きる人たちなどが、狭い通りに50余名が集い、ごった返していましたが、食べ物や小さな販売品などの収益は、困難な隣人に寄付するのだということでした。教会がこのように、疎外され、痛みをかかえつつ生きる人々と共に生きなければならず、より積極的にせねばとあらためて思いました。

 そして京都市から2時間半離れた物部教会を訪問しましたが、日本も低出産が深刻で、地方では教会員が減っていることを感じました。若い人たちが少なく、高齢者が教会を守っていました。わが国の状況と似ています。その午後に、舞鶴市の浮島丸沈没の記念の場にまいりました。釜山に向かった7千余名の朝鮮の労働者たちが乗った船を強制的に爆破させたとも言われ、5千余名が死亡した事件の現場です。未だ正確な沈没の原因と事件の経緯が明らかになっていません。

 日本の教会を見て感じた点は、キリスト教団が統一されており、また大型教会が少ないということです。多くの教会が幼稚園や子どもの家など教育機関を運営している点も印象深いです。すべての都市がきれいで秩序があり、ごちゃごちゃしていません。車も小さく、駐車費、罰金、自動車税などはとても高いと言います。人々の個人主義的傾向が強いですが、急ぎたてたり、せっかちではないようです。

 意見:次の機会のプログラムは34日か45日がいいのではと考えます。67日であれば仕事をしている人は参加が難しいからです。呼びかけを多くして参加の人数を可能な限り多くしたらいいでしょう。宿は21部屋でもかまわないでしょう。

 感謝:すべての日程の計画とオリエンテーションを二度にわたってしてくださった崔亨黙牧師と共に、同行した天安サルリム教会の金聖潤役員に感謝します。日本語を自由自在に駆使して通訳が必要なく、特に主日の説教をたのまれましたが、日本語で説教をしてくれたことも大きなことだと考えます。

 

金 聖潤(キム・ソンユン)天安サルリム教会員

 

 私は天安サルリム教会において仕えています金聖潤です。1998年から始まった京都教区と大田老會の第13回韓日交流プログラムの一行として、京都の美しい教会と、浮島丸沈没事件の現場、ウトロなどを訪問しました。コロナで交流できなかったのが3年ぶりの交流の一員として参加でき、大変うれしく思います。

 京都教区議長である今井牧夫牧師が、京都教区が1998年に発表した「相互交流にあたっての謝罪と意思表明」という題の声明書を紹介し、読まれました。すでに24年前に発表された声明書ですが、その内容を読み大変驚きました。二つの隣の国が親密な交流を続けていたのですが、1590年朝鮮半島侵略や植民地支配などによって苦難を与えてきたことを認識し、謝罪する内容が盛り込まれており、とても感謝すべき声明書でした。日本政府が幾度も謝罪したと主張するどんな内容よりも真実の思いが込められた、とても重要な声明書でした。

 日本のキリスト教宣教は1549年、イエズス会宣教師、フランシスコ・ザビエルからだと聞いています。長い歴史の中でむごたらしい迫害が続きましたが、京都に美しい同志社大学が建てられ、何より学校にまず教会が建てられ、現在、日本の社会にイエスの御心を実践する教会が残り、引き継がれていることを見ます。

 我々皆が知っているように、解放後10余年間、韓国人たちが経験した悲惨な酷い事件を振り返ります。1945年日本の敗戦後、韓国に帰国しようとした徴用工たちが舞鶴港で沈没した浮島丸事件、1947年政府に反対する左翼として疑われるという理由で、子どもや女性を含む済州島民数万名が虐殺された4.3事件、19506.25韓国戦争(朝鮮戦争)などやるせなく死んでいった無数の死がありました。韓国だけでなく、ここ日本においても在日同胞たちは、日本社会の差別の中過酷な日々を過ごしました。韓国人だけでなく、日本のキリスト者も1549年ザビエルの布教以後、日本政府の残酷な迫害の中多くの殉教者がこの地で血を流し死んでいったことを知っています。

 イエスさまの十字架の上の苦痛と死の瞬間があり、復活の喜びがあるように、わたしたちは、韓国において日本において、理由もわからないまま死んでいった多くのいのちに負い目を負っています。彼らの殉教があり、今日の平和な日常生活があるということをもう一度かみしめてみます。

 そうした面で、わたしは地方の小さい教会を守ろうとする日本の信徒たちの努力、多くは集まらないけれども、その中で共に喜びを分かち、神さまの御心を実践しようとする美しい教会の姿を確認することができます。

 特にウトロ地区の現場は差別を受けた朝鮮人たちの悲しい歴史を認め、平和と人権回復の崇高な事例として、癒しを与えつつ、成功のモデルとして変わっていっています。日本社会の全般的雰囲気はありながらも、祈念館が開館した20224月以降、8千名以上の日本人たちがこの現場を訪ね、支持してくれたという感動的な話しも聞きました。またここでの支援奉仕の働きが、国籍や立場の違いを越えた交わりとなっていることも感謝をもって見られる姿です。

 少しここでわれわれの姿について振り返ります。皆さんが見てのとおり、韓国のキリスト教会は、150年の歴史の中で、目覚ましい成長を遂げてきたのは事実です。しかし最近衰退を重ねてきています。教会の全般的な保守化による衰退です。そしてその衰退から挽回しようとするために、絶え間なく共同の敵を作り出しています。それが北朝鮮、イスラーム、同性愛者として引き継がれているのが事実です。また聖書を文字としてだけ解釈しようとするキリスト教根本主義で武装し、性的少数者を差別し、韓国の地にやってきた外国人を排斥する先頭に立ってきました。何より、わたしたちは一般市民たちの信頼を失ってしまったことを痛切に感じるようになっています。神さまではなく、富を先頭に仕えており、世襲を黙認し、社会の一般的、常識的意識水準にも従いえない教会の保守的姿は、今も名もなく献身している多くの牧会者と信徒たちの努力をなからしめているのです。

 日本の教会は数字としては、人口の1%にも満たない力のない教会であるが、社会の中で信頼を受ける教会、地域社会で温かい交わりをなす教会、進歩的意識を先導する良心的な教会の姿でありました。洗礼を受けていない信徒たちの聖餐参与に関連して、賛成と反対で、結論を出せない姿もありますが、わたしたちの状況をふりかえると、討論さえできない、性的少数者を罪と定め、外国人を排斥しようとするような在り方は、宣教を何のためにするのかということがあらためて問われてきます。

 この度の交流会は、近くても遠い国と呼ばれる二つの国のクリスチャンが、互いに頼り、それぞれの地でクリスチャンの姿を互いに支え励ます美しい関係を作っていく大切な機会となりました。互いの姿を見て学び、神の国を作っていくことにおいて互いを立たせてくれる貴重な交流となることを希望します。この交流のために準備してくださった両国の委員会に深く感謝いたします。ありがとうございます。

 

(物部教会礼拝堂にて。向かって一番右が鄭さん、その左が金さん)

 

 

一緒にやればいいんだ

京都南部地区 桂教会 熊谷 沙蘭

 

 コロナ禍に入って、桂教会では教会学校を何度も休みにした。我が家の子どもたちも、教会に行かない日々が続いた。そして、教会よりも他のところで遊び、楽しさを見出し、「教会はつまらない」という言葉も何度も聞くようになった。

 子どもにとって教会がつまらない場所になっていることは、私にとって大きなショックだった。教会で育ち、教会で遊んだ私にとって、教会は大切な居場所であり、楽しい場所だったからだ。しかし教会が今、子どもたちに楽しい時間や居場所を提供する力を失っているのも実感していた。牧師として、どうしたらいいのだろうかと悩んでいた時に、京都南部地区の活動である「みらいプロジェクト」のデイキャンプの案内が届いて、「よし、行こう」と即決した。

 息子2人は数日前からワクワクしていた。そして、静原のキャンプ場に到着して目は輝いた。緊張していたのは最初の30分くらいで、あとは気ままにやりたいことを、ゆったりと楽しんだ。みんなと初対面とは思えぬ安心感の中で、子どもたちが過ごしていたことがとても嬉しかった。「教会は楽しいところ」、息子たちはきっとそう思ってくれただろう。子どものころの自分と重なった。

 こういう出会い、繋がりが保ち続けられることは、私にとって大きな希望となった。一つの教会だけで出来ないことは、一緒にやればいいんだと頭では分かっていたけれども、今回のデイキャンプで実感し、確信に変わった。「あの教会のあの人に会いたいか

ら、今日は自分の教会ではなく、あの教会に行く」そんな風に子どもたちが言ったらどんなに素敵だろうか。「みらいプロジェクト」が続いて行く中で、遠くない未来にそういう声を聞くことができるはずだ。

 

 

「聖書を読み直す会」について

滋賀地区 近江平安教会 鳥井 新平

 

 偶数の月。第一火曜日は京都の洛南教会に行く。京都教区性差別問題特設委員会の主催する「聖書を読み直す会」に出席するためだ。もう176回も続いている。男性牧師中心主義に異を唱え、これまでの神学的な、註解書にたよった聖書の読みでない読み方を続けている。今年6月からは新たなシリーズ「教師とは何か?」を中心テーマとして行なっている。信徒の立場から教団の歴史を踏まえて発題された谷口ひとみさん(6月)。ペンテコステの黙想を通して教師の働きを再考された今井牧夫さん(8月)。教師を目指す神学生として、二種教職制について歴史的考察を試みた藤田和也さん(10月)。そして126日は女性でもなく男性でもないノンバイナリーとして生きる向島伝道所担任教師の岡嶋千宙(ちひろ)さんの話だった。どの会も大変刺激的で、信仰者としての実存を問われる豊かな時間だ。 

 20232月には、女子の居場所作りに取り組む神学生・澤田果歩さんの話がなされた。今後も幅広い参加と自由な話し合いの継続を期待している。「聖書を読み直す会」は面白い。そして深い。

 

 

リレー連載コラム第14

―教会とセクシュアル・ハラスメント問題―

神さまの恵み

セクシュアル・ハラスメント問題小委員会・西小倉めぐみ教会 冨増 献兒

 

 今年度の教区総会で教区の常置委員に選ばれ、合わせてセクシュアル・ハラスメント問題小委員会に所属することになりましたが、この2つの出来事は私の意思とは関係のないところで決められました。どうも神さまは時間に余裕のある毎日を過ごしている私に、どうせろくでもない時間しか消化できないだろうから、ちょっとは有意義なことに使うようにと与えてくださったように思います。

 セクシュアル・ハラスメント問題は特に関心があるわけではありませんでしたが、職場で今も心に残る重い経験があります。自分では何気ない親しみを込めて行った行為が、相手につらい思いをさせてしまったのです。自分の中では何の問題も感じない他愛のないと思っている言動が、相手を強く傷つけてしまうことがあるということ知らされ、自分の愚かさを強く感じました。

 さて、数回の委員会出席で感じたことは、伝道所・教会では起こりえないと思われがちなこの問題が実はそうではなく、もしかしたらこれはセクシュアル・ハラスメントじゃないかと思ってもまわりに訴えにくい雰囲気が伝道所・教会にもありはしないかということでした。

 20014月、神戸地裁尼崎支部に提訴された九州教区の教会で起きたセクシュアル・ハラスメント事件をきっかけにして、京都教区でもこの問題を自らの課題として取り組んできたとのことです。こうして動きは全国の教区においても取り上げられ、京都教区と同様のリーフレットからもうかがい知ることができました。そして、複数の教区ではこの問題の相談窓口を設置していました。京都教区でもこの相談窓口の設置について話し合われたようですが実現に至っていません。設置には、多分いくつかの大きな課題があることと思います。しかし、設置に漕ぎ着け相談支援を実施している教区の労苦に頭が下がります。京都教区でも相談窓口という形はとっていなくても実際に相談に応じたケースは複数あるそうです。私は、福祉の児童養護問題に関わってきた経験があり現在もある事業所の責任を持っています。児童養護問題の実践には基本的な考え方も重要ですが、さらに大切なことは、その一つひとつのケースにどれだけしっかりと向き合って、問題解決に向けて具体的にどのように前向きに取り組んでいくかだと思います。

 伝道所・教会も人々の集まりである以上、その弱さ・醜さを内包していると思います。このセクシュアル・ハラスメント問題という形を取って顔を出してくることもあるでしょう。その時同じようにそのケースに向き合って、教区という立場で何ができるかを問うていくことが求められているように思います。

 

 

教団総会が4年ぶりに開催されました

京都教区総会議長・京北教会 今井 牧夫

 

 202292729日、東京のホテル・メトロポリタンで日本基督教団総会が4年ぶりに開催されました。今総会の現実ですが、2002年度総会以来、沖縄教区が20年間「教団に距離を置く」として教団総会に来られていません。教団が同教区から信頼されていないからです。また、深刻な教団財政の問題から教団機構改定案が何年も議論されてきましたが、今総会に議案提出できず、次期に課題が持ち越されました。教団の問題解決は容易ではありません。教団は戦中の政府の圧力のもと、1941年に30余派の様々な教派の合同で結成されて以来、ずっと痛みの歴史を歩んでいます。その教団が神様によって変えられて、主イエス・キリストにあって、まことの平和に生きることを私は祈ります。「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」(ヨハネ1427

 

報告1

「教団総会を振り返って」

滋賀地区 大津教会 平山 正道

 

 第42回(合同後第27回)日本基督教団総会(2022927日~29日、於・東京)に参加させていただきました。詳細は、今井教区議長が報告を昨年11月に各教会・伝道所に配布されたので〔編集注:必要な方は教区事務所に連絡を。PDFで差し上げます〕、わたしは全く個人的な感想を述べます。

 コロナ禍により4年ぶりの開催でした。全議員に抗体検査が義務付けられていることを始め、出来る限りの感染予防対策は講じられていましたが、300名近い人が一堂に会している光景を目にすると、若干の不安がよぎったのはわたしだけではないでしょう。そのような特別な緊張感を覚えながらの3日間でしたが、批判を恐れず正直に書くと、終わったあとに残ったのは何とも言えない虚しさでした。

 その原因は、諸議案に対する表決、選挙の投票結果が、ほぼ全て同じ票数だったことから来ています。今に始まったことではありませんが、やはりこれは面白くありませんし、変だと思います。提案されている議案、各種選挙について、どのような表決、投票をするのか、多数の側があらかじめ全て決定していて、そこに絡めとられているいる人たちが一糸乱れずに行動するのであれば、結果は始めから決まっています。その通りになりました。

 議場に座っていると、キリストの福音のもとで、自由を希求する基本的精神を培われてきた私は、どうしても気持ちが悪くて仕方ありませんでした。これから、この合同教会である日本基督教団とどう向き合っていくのか、教団総会から3ヶ月もたつのに、悶々としながら考えさせられています。

 古典的な名著、外山滋比古の『思考の整理学』のことを思い出しています。わたしは学生時代に読んで、物事を主体的に捉え、自らの考えを自由に組み立てていく作業の大切さ、楽しさを教えられたことでした。教団総会議員の必読書としたいくらいですが…。

 

報告2

「教団総会に出席して」

京都南部地区 京都葵教会 佐藤 友子

 

 4年ぶりの総会。一信徒がこのような機会を与えられたことに感謝。

 それぞれの教区には独自の課題があり、かけがえのない働きをされていることを知りました。2日目の礼拝で、八戸小中野教会の小林よう子牧師は、ある女性信徒が、教会を愛し続けた生涯を伝えてくださいました。私の母教会は奥羽教区。そこで私も愛され育ったことを思い出させてもらいました。

 教団全体でも、それが大きな組織であるゆえの課題が山積しています。中でも「日本基督教団と沖縄キリスト教団の合同のとらえ直しと実質化」が、この20年間全く進んでいないことが、不信と対立を招いていることを知りました。

 私たちの教団は元々独自の歴史をもった多様な教派の集まりであったのに戦時下に教団として一括りにされた歴史があります。そして戦争協力をしてしまったという苦い事実があります。

 今、政府は台湾有事を想定した防衛体制強化に邁進しています。西南諸島を含めた琉球弧の島々は一たび戦争が始まれば、最前線の戦さ場となることを避けれられない状況です。そこは全て島の人々の暮らしの場。

 私たちの教団が、戦争責任と沖縄教区との関係修復にきちんと向き合わなければ、戦争をする国づくりに向かう大きな流れに抗うことはきっとできないでしょう。

 ある日、ロシアとウクライナの戦争は始まりました。一たび始まった戦争は止めることが困難であること、最前線で傷つき苦しむのは、為政者ではなく、其処に暮らす人々であり、駒と扱われる兵士であることを、今私たちは知っています。教団の一信徒として同じ轍を踏みたくはありません。

 主イエス・キリストを真ん中に、肩の力を抜いて目を合わせ、対話を始めたいです。可能性はきっとあるはず! と総会後、よく祈っています。

 

 

編集後記

 今号も多くの方々にご寄稿していただき、2022年度最後の教区ニュースを発行することできました。心より感謝いたします。それぞれの原稿を読ませていただいていると、「これから」の宣教や教会の活動について興味深い示唆が与えられます。

 特に、その交わりの場へと出かけていくことや、心を向けていく中に、それまで知らなかった気付きや出会いが、それぞれの交わりの場に備えられていることを感じさせられます。

 イエスもまた伝道活動に勤しんでいた時、どこかでじっと救いを求める人がやってくるのを待っていたのではなく、自ら救いを必要とする人の元へと赴いていかれた姿を思い浮かべます。「これから」の教会や伝道を考えていく上で、このイエスの姿から学ぶことが多くあります。

 ようやく様々な集会が再開されるようになり、「できなかった」ことが「できる」ようになりました。この教区ニュースを通じて、一人でも多くの方がその場へと赴くきっかけとなることを願っています。(T.U

 

 

デナリオン瓦版

編集:京都教区・教職謝儀委員会

委員長・横田明典

 

 こんにちは!教職謝儀委員会です。毎年1回この時期に「デナリオン瓦版」として皆さんにデナリオン献金の現状や報告、またお願いをさせていただいています。どうぞ、趣旨をご理解くださり、ご協力をお願いいたします。

 

ご協力ありがとうございます!

 京都教区では、教区の宣教連帯の働きの一つとして、デナリオン、教職互助、クリスマスなどの献金が、教区経常会計繰入を合わせて、教会謝儀支援のために用いられています。教区内の諸教会に連なる皆さんが、それぞれの教会の働きを覚え、支えて下さるこれらの献金に心から感謝いたします。2021年度は54の教会・伝道所と、1つの団体から5,193,290円の献金をいただきました。ありがとうございました。

 また2022年度は、安土教会、宇治大久保伝道所、近江平安教会、堅田教会、上鳥羽教会、京都上桂伝道所、京都西大路教会、城陽教会、丹後宮津教会、長浜教会、西小倉めぐみ教会、向島伝道所に、総額835万円の教会謝儀支援金をお送りしています。

 

デナリオン献金とは?

 詳しくは、デナリオン献金の封筒、依頼状に同封させていただいている「デナリオン献金参加の呼びかけ」のパンフレットをご覧いただければと思います。1992年から始まったこの献金運動は、規則の上では変化がありましたが、教区内の宣教を担う教会への支援として、全教会・全信徒・全教職が参加する、宣教連帯の働きとしては、当初から変わらずに続けられています。

 現在は、経常収入450万円以下の教会・伝道所が、主任担任教師の謝儀支出が困難な場合、年100万円を上限に申請できる制度です。詳しくは教区総会議案書巻末の「教会謝儀支援規則」を御覧ください。毎年皆さんからいただくデナリオン献金などが約500万円前後、これに教区経常会計の1割にあたる約280万円を加えた額が、支給総額となります。なかなか申請額通りの支給はできていませんが、少しでも宣教を担う教会・伝道所の働きを支えたいと願っています。

 

お願いとご報告

 2022度はまだ集計はできていませんが、この3年はデナリオン献金にもコロナ禍の影響が出ているように思います。教会そのものの財政も厳しいところですが、お互いに支え合いながら連帯の思いを持ってご協力いただければ幸いです。今年度の集計分は2024年度に実施される教会謝儀支援の原資となります。

 それぞれの教会・伝道所では、デナリオン担当者をお選びいただいていますが、まだのところがありましたら、選出をよろしくお願いします。

 毎年、デナリオン担当者懇談会を開催し、現状の説明や相談事を共有してきましたが、コロナ禍の3年の間、開催できませんでした。担当者の方でお困りごと等ありましたら、委員なり、委員長なりに直接お尋ねいただければと思います。

 2022年度も集会等でのデナリオンコーヒーの提供等も、ほとんどできませんでしたので、状況は芳しくありませんが、コロナ禍の終息を祈りつつ、連帯の輪を広げていきたいと願っています。

 

 次年度もよろしくお願いします。